己を忘れて

おはようございます。

一日が終わる、一ヶ月が終わる、一年が終わる、毎日大きな変化の無い生活をしていながらも確実に時間は過ぎ去り、年も重ねて、変化が無いようでやはり大きな変化をしています。
「光陰矢のごとし、時人を待たず」を実感しています。人生は自分の都合の良いようにはなりません、だからこそ時を確かにして「為すべき事を為すこと」が大事でありましょう。
「己を忘れて他を利する」。
人生に於いての悩みの多くは「期待感」から生じると言ってもいいのではないでしょうか。期待感、表現を変えれば「評価」です。
この思いから悩みを生じさせるのです。故にこの考えから「脱却すること」で「悩みを解消できる」わけです。
先の言葉は比叡山伝教大師」のお言葉です。
伝教大師は「他を利することを生涯とした」のです。お釈迦様は「衆生無辺誓願度(しゅじょうむへんせいがんど)」を生涯とされ、常に明るく楽しく人生の時を過ごしたのです。
このようなことを書きますと、聖人だったから出来たことと思われるかも知れませんが、聖人とは第三者が言ったことであり、何も評価されたいが為に行動規範としたのではありません。
己を無心にすることが「とらわれの心を捨てること」と気づいたわけであります。
教訓や教えは全て「易行(いぎょう)」であり、要するに「身近で簡単なこと」です。そうでなければ「後継者」は出ないのです。
人生を身近な世界で捉え、身近な人々を「利する」ための生涯としたのです。それが「己を忘れることであり」また「無辺なる衆生のために生きること」であったのです。
会社でも家庭でも生活をしておれば、「何をすべきか、何が必要なのか」は黙っていても知り得て、理解できるものです。
人は「足りない、不足していることで悩むわけです」から、「その不足を補うことを常とする」ことが「他を利する」であり、「無辺なる衆生を助けること」となるのです。
このように明快な人生を送ったのです。
自分を知ることは難しくとも、周囲の人や己を取り巻く人の要求や必要とするものを簡単に理解できるのが私たちなのです。
このようにあれば「場(働く場、生きる場)を失うこともなく」、逆に「必要とされる人材と化す」訳です。
身近な人の苦を少なくするということは、「どうすれば、どのように在れば」という発想になりますから、自然必要なことを「学ぶ」ようになり、「向上心ともなり」、自らを尋ねるという「魂の喜びにも目覚める」こととなるのです。
この魂の喜びを一度実感、体感しますと「不退転の魂ともなり」、揺るがない人生観の確立ともなるわけです。ですから伝教大師様もお釈迦様も何の迷いもなく人生を歩まれたのです。
皆さんもしっかりと「他を利する」、「衆生のために生きる」ことを「宗(むね)」としてください、さすれば人生の悩みに惑わされることなく、為すことを多くする楽しい人生と化すことを体感してください。
働くとは「端(はた、周囲)を楽する」ことでありますから、己の楽を願って歩めば「苦を多くすることの人生と化す」ことを知るべきでありましょう。
「苦労」ではいただけません、労は「ねぎらい」という意味ですから、「労を労とする」ことが大事なのです。人のことを考えて楽しい人生、自分のことを考えては「苦の人生」と自ら為していくのです。労、ねぎらうことをしておきながら「苦労する」ではよろしくないのです。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。               合掌