美言に注意

おはようございます。

老子第八十一章に「信言(しんげん)は美(び)ならず、美言は信ならず」という語があります。誠があり信実のある言葉は美しくなく、飾らないということであり、美しい言葉には誠が無く、真実味がない、耳障りの良い美言は虚飾だというのです。
「美しい言葉に真実味がない」。
言葉を多くし、言葉を弄する人には信実味は少ないものです。人を疑うことは余り気持ちの良いことではありませんが、人を見るにはやはり言葉、態度、行動から「察する」ことが大事です。
簡単に物事を引き受ける人にも注意しなければいけません。このことも美言に外ならないからです。
私たちはどうしても「良い返事や、良い答えを待っている無意識」があります。この無意識を知っておく必要もあります。
何故ならば懸命に誠意を以て話をしているからです。「この無意識に落とし穴がある」のです。
そこで人を見抜く目、意識が必要となるのです。余りにも景気のいい話や、打てば響くように返事をする人にも注意しなければなりません。
そこでどのような気持ち、考えで自身が人様と接し交わっているかが問題となります。「五交(ごこう)」というものがあります。
1、勢交(せいこう)「勢力者に交を求める」、2、賄交(わいこう)「財力ある者に交を求める」、3、談交(だんこう)「能弁家に交を求める」、4、窮交(きゅうこう)、「困窮のため苦しまぎれに交を求める」、5、量交(りょうこう)「利害を量って得な方に交を求める」。
これらは、皆恥ずべき交わりです。このようなエゴ、我からの交では長くは続かないのです。また人間性をどんどん自ら貶(おとし)めていくのです。
これら五つの交わりは自身の意図で行っているわけですから、人生の「運気を高めることとはならず」、大いに気づき要注意する必要があります。このような意識は「学ぶ意識が無く」いつまで経っても同じ事であり、進化がないのです。
人様との交わりは誠意、信実を以て在ることが大事です。「人生どう在るべきか、信実とは、誠意とは」の指針、生き様を知るにはやはり「心学」を行うことが大事なのです。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。               合掌