如月

おはようございます。

昨日はお昼からお寺のためによくお世話を下さる京都のIさん主宰の集いに講師として招いていただきお話しをさせていただきました。
お集まりいただきました皆さん、Iさんありがとうございました。
帰りに嬉しいことがありました。京都駅までタクシーに乗ったのですが、乗務員さんが交代して初乗りの客が私だったようで、降りるとき支払いに小銭がなく5千円札を出したところ、おつりがないんですよといって、口開けですから、サービスしときます、というではありませんか、そうはいきませんので、待っていて貰って小銭を用意して支払いを済ませました。
このような好意的なドライバーの方に1月の最終日に講演のあとに出会ったのがとても嬉しいことでした。これもIさんのお陰と感謝でした。
1月は「行く」、2月は「逃げる」などといいますが逃がすことなく、又現実から逃げることなく今月もよろしくお願いいたします。
昨日から個人修業の方が見えております。「修己治人(しゅうきちじん。己を修めて人を治める)」、生涯大事な「在り方」です。
リーダーであればあるほど、年令を重ねれば重ねるほどに修己は重きを為してきます。何故ならば体験経験をを積めば積むほどに間違いや失敗をしたときにその原因が判り、「判ることで満足してしまう恐れがある」からで、これは修己をせずに生じる慢心です。
「知っただけで終わり、何の対策も取らず解決も見ない」では人間お粗末であります。経験体験がありながら同じ過ちを犯す、これでは「リーダーとしての信を失う」こととなるのです。これほど「修己」は大事なのです。
「修己」を常としておればこのような愚を犯すことはないのであります。
「如月(きさらぎ)」。
2月を陰暦で呼ぶとき「如月」といいます。これは季節は春に近づいているのですが、まだまだ寒波があって1月の時のようで、着ている物を一枚脱いだのだが又着なければならない、「更に着る」というところから来ているとも言います。
私たちは何か問題がありますと必至になって解決しようと取り組んでいきます。取り組んだお陰で復調の兆しが見えてくるようになります。その兆しが見えてきたときに「更なる用心が大切」なのです。
気を緩めてはいけません、ホッとする気持ちはわからないわけではありませんが、「九十九里を半ばとせよ」という言葉がありますように、最後の最後まで気を緩めず、事の解決を図ることで、「失敗しない回路を作ることが肝要」なのです。
そうでなければ先に書きましたような「気づいた」だけで「事の解決を見ずに終わる」のです。
「きさらぎ」、更に着るということを、自身の人生の中での「修己として在れば」、努力を虚しくすることを無くすのであります。
今夜は「にんげん学」京都講座、孟子は「学問は放心を求むる」事だと言っています。私たちの心はちょっと油断しておりますと、あちらこちらに飛び跳ねて、心が放たれてしまうのです、「己の心に慢心するなかれ」、です。
何とでもなる、などとうそぶいている人ほど何とも成らなくなり、苦い人生を送る羽目となることに注意すべきでしょう。
2月のスタート、今夜は沢山の皆さんにお会いできることを楽しみにしております。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。               合掌