弱いことも

おはようございます。

外で修します「採燈大護摩」を終えますと堂内で日々修します護摩が一層大切に感じます。念力は継続してこそ力となることを実感するからです。
火生三昧(かしょうざんまい)の火渡り行は「己を神々に供養」し「罪障消滅」を図り「新たな願いの成就」を祈るものです。
野焼きをすることできれいに焼き払うことで新たな芽がイキイキと芽吹くがごとくです。
一昨日行じた皆様は必ずや新しい人生の芽が萌すことでありましょう。しっかりと信じお仕事に向かってください。
「弱いこと」。
私が信仰しています「金港辯財天」様は「水神」さまです。「水と火は共通点」があります、何かと申しますと「柔軟性」です。
あらゆる「姿形に変形し」どのような隙間でも入るという特質があり、水は「石をよく穿(うが)つ」という言葉が示すように、柔軟だからこそ石に穴を開けて流れていくのです。
人生を大い在るためには「勝つことを余り強く望まない」ことも大事です。勝ちたいという思いは「仇(あだ)する心、敵愾心(てきがいしん)です」。人生は「和すること」で仕事も何事も大きく発展していくのです。
反目からは何も生まれず、「自身も相手も傷つくばかり」。そのような思いで人様と接することは何等楽しくはないのです。
楽しく無いどころか、行き詰まり、孤独になるしかありません。昨今の人の悩みの原因の一つはこの「勝たねば、負けてはならない」という「気負い」から来るのではないでしょうか。
弱いということは決して悪いことではありません。むしろ勝ちたいと考える人より「勝者になる可能性が高いのでは」との思いを強くしています。
何故ならばこれは「自覚の問題で」私は弱いことを「人様に負けることとは考えていないから」です。弱いということは「一歩引くこと」です、何故引くことが重要かと申しますと「人様の情報が確かにできる」ということです。相手の情報を的確に掴むことで確かな対策が取れるのです。
御仏に仕え、その心で師に仕え、人様に仕えさせたいただくお陰で「多くのことが出来るチャンス、機会をいただいたから」です。頭を下げることも「自主的に心から下げる」、「へりくだるのではなく」、貴い自分が出会う人は「それ以上に貴い人だと」思ってお仕えするのです。
弱いことは悪ではありません、負けたくない、勝ちたいとせっかく出会った人に「敵愾心を持つことが悪い」のだと考えているのです。
弱いことは優しいことです。また弱いからこそ与えられた仕事を「最後までやり抜くこと」が出来ていくのです。強い人は直ぐに我見を出して相手を尊重しなくなる恐れがあるのです。
世界を広め大きく展開する人生と化すには弱いことも大事なのです。今夜は「にんげん学」大阪講座、「心、ころころ」コロコロとする心を発想の源とすることが出来るように学びましょう。学ぶという心も一つの「弱さ」でもあるのです。
強い人は進展を望みながら教えを請うことを良しとしません、だから「伸び悩む」のです。もったいない人生を送らないようにしましょう、お互いに。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。               合掌