力とするために

おはようございます。

春は木々を眠りから目覚めさせるためよく雨が降ります、自然はいろいろなことを教えてくれます。
一見困難なことと感じることが実は私たちにとっては非常に大切な事柄であることがよくあります。「よいことばかりを望んでいますと」、せっかく良い縁に出会っているにもかかわらず嫌なこととして避けてしまい、成長の糧にしなくなってしまいます。
どのような事柄でも自分が体験することは将来に役立つことだと考えるべきなのです。
「力とするために」。
評価されたい、認められたいと考えておられる方は沢山います。しかし「どのようなことで評価されたいのですか」と質問しますと、意外と答えが返ってこないのです。不平や不満を口にする方は多いのですが、「何で?」という質問には答えがなく、ただ「不満だけ」なのです。
具体的に「自分を高める、磨く」ということが無ければ何事も成長できないのです。ただいたずらに年令を重ね、耳年増になっていくだけではよろしくありません。
話をしているだけで成長していると考えるのは「大きな錯覚」です。
事を為して何かにぶつかったときは感謝し「鍛え直すことが肝心」です。自分が歩んでいる中での苦い経験や体験は「準備不足、勉強不足」を知らしめてくれたと受け止めるべきです。
思いだけで何の勉強も準備もせずでは「力をつけることは叶わない」と知るべきでしょう。私たちは何かに遇いますと「反動」します。反動はよい反動をしなければいけません。そうでなければ「反動の意味はない」のです。
論語、季氏第十六・十九条に「孔子曰く、生まれながらにして之を知る者は、上なり。学びて之を知る者は、次なり。困(くる)しみて之を学ぶは、又其の次なり。困しみて学ばざるは、民斯(たみこれ)を下(げ)と為(な)す。」
意は「先生が言われました。「生まれつき物の道理がわかる者は最上の人物である。学問をしてそれがわかる者はその次の人物である。苦しみながらも学問に励む者はそのまた次の人物である。しかし、わからずに苦しんでいながら学ぼうとしない者は、人はこれを最低と見なす」。
困ったら学ぶのが人間であります。困って学ばないということであればどうしようもないのです。
何か困難に出遭ったら「学びなさい」という天命が下ったと思うべきです。人がそうさせていると考え人と争うのは愚かなことです。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。               合掌