学ぶ

おはようございます。

学ぶということの意義をどのようにお考えでしょうか?、「荀子(じゅんし)」はこのように言っています。
「学ぶ」。
荀子曰く、夫(そ)れ学は通の為に非(あら)ざるなり。窮(きゅう)して困(くる)しまず。憂(うる)えて意衰(こころおと)ろえざるが為なり。禍福始終(かふくしじゅう)を知って惑(まど)わざる為なり。此の語(ご)能(よ)く学の神髄(しんずい)を説(と)けり。」
これは意味を解さなくとも分かると思います。学問というものは、出世(通)のためじゃない、免許や資格をもらって出世するために学校に入るのではないと言っているのです。
そのような学は「学ではない」のです。
皆学校に行き会社に行っていますが、何かに窮しますと昨今の人は直ぐに「悲鳴を上げる」、このようでは学問をした意義がない、「窮して困しまぬ」ために学があるのです。
因果の道理を教えているのが学であるにもかかわらず、少し心配事ができますと「悩んでしまう」。
心が衰えてしまう。そういうときでも「憂いても心衰えざる為」にあるのが学であります。
人生行路には常に自分の条件に合っているときばかりではありません、好い天気、温かい天気ばかりではないのです。災いも生じれば幸いもあるのです。
どうすればどうなるという、因果の法則が厳粛に存在します。それが「禍福始終」です。「禍福始終を知って惑わざるが為」。「此の語能く学の神髄を説けり」。
こういう意味で、私たちは学ぶことをしなければいけないのです。
人間は禍福・因果、そういった人生の法則をしっかり掴んで「まごまごしないために学ぶ」のです。
これが「学問の本質だ」と荀子は言っているのです。
このように学ぶことで人生を狼狽(うろた)えることをなくすのです。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。               合掌