何もいらない

おはようございます。

祈るときの心は恐らくこのような気持ちであろうといつも思っています。
「命そのもの」、これまでの人生、祈ることに喜びと生き甲斐を感じてきました。
「何もいらない」。
体調を崩し自分の体が自分の言うことを聞かない、持病のひどいときも同じような思いがありましたが、年令が違っているのでしょう。
体が言うことを聞かない現実で「思いの自由を知ったようです」。体に感じると言うことは、とてもありがたいことです。「新たな思い、新たな感謝が生まれる、新たな自分を知る」からです。
不自由でありながら「自由を感じられた」。祈りを19才から続けて来た「お陰」でしょうか。
祈れば「自分も周囲も幸せになれる」ということをひたすら信じ、仏の言葉を頼りに行動することばかりを考えてきたお陰だとも。
明日は下関、愛宕寺「春季・彼岸会法要」、午前10時からです。ご先祖様へ感謝いたしましょう。感謝すると言うことは、感謝の祈りを捧げ、不足を言わず、喜びを持って日々暮らすことです。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。               合掌