菩提の種を蒔く

おはようございます。

今日は春の彼岸の入り。愛宕寺では午前10時から「彼岸会・施餓鬼法要」を厳修いたします。
心華寺では21日(日)午前10時からです。
お彼岸は太陽が真東から出て真西に沈むとされています。古代は明るさは自然からもたらされ、明るさを自然が奪う、生も死も自然がもたらすもの、このように考えたのは極々自然でありましょう。
沈む太陽を伏し拝み、明日の在ることを心から願う。素直で純朴な心から「西方阿弥陀世界」の信仰が必然的に生まれたことはうなずけます。
阿弥陀は「無量寿(むりょうじゅ)」とも言われます。西方弥陀世界を念じ、無量の寿命を願う、これまた必然な思いです。ここ数日身を以て味わっております。
「菩提の種を蒔く」。
子供時代から今までずぅ〜っと親孝行したいと考えてきました。しかし残念ながらできていない、ですが両親は既にこの世にありません。しかし今でも親孝行したいと考えています。
ご先祖様を拝んでおりますと、ときおり知らないうちに涙がこぼれてきます。なぜかはわからないのですが、親孝行できなかったことや、親の意に沿って生きてこなかった事、心配ばかりかけ、心を患わせてきたことに対して詫びているのかもしれません。
子の親として、人様を導く者として、これではよろしくないとは思うのですが、事実でありますから、これは反論ができません。どんな正当な言い訳があったとしても言い訳はできないでしょう。
だからこそ今でも親孝行したいと日々思うのです。どうすればどうすればと目の前の使命を果たしております。
孝行したいと夢を追いながらできなかった事実、しかしそれを追い求め続けたからこそ今があるとも、正直思うのです。
古歌に「今日彼岸 菩提の種を 蒔く日かな」とあります。朝ご先祖様を拝むとき今日こそは親孝行できますように、との思いを日々新たに自分自身に言い聞かすことも菩提の種を蒔き、育てることだと言い聞かせています。
祈りは強い志が在ればこそ出来るのです。祈ることで強い信念の確立となり、強い信念がアイデア、発想と為し、社会に役立ち、仕事を安定させ、より多くの人に仕事をもたらし、生活に安定をもたらすからです。
祈れると言うことは明快な志があるからです。私は最初の明快な志が親孝行だったのです。今では皆さんの安泰であります。
今日はご先祖様のためにご一緒にお祈りいたしましょう。そして新たにお誓いを致しましょう。
必ずや素晴らしい明日がもたらされます。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。               合掌