意識

おはようございます。

先日、易きに流れる、ということを書きました。電車に乗って時折考えることがあります。車窓から眺める景色はどんどん変わっていきます、それを眺めることは変化がありとても楽しいのです。
人生もこれと同じように自分が何をせずとも外の変化を眺めていても楽しいのです。まるでスポーツ観戦しているような気分です。素晴らしいアスリートを観ると、まるで自分であるかのような気持ちとなる。
「意識」。
63才くらいになりますと思い出が山ほどあります。時間が経てばたつほど思い出を美化してしまう自分がいるのが恐ろしくなります。
人生「後ろ向きになっている」という空恐ろしさです。
意識とはかほどに恐ろしいもの。だからこそ前向きに「行動しなければ」ならないのだと思うのです。
自分の意識で自分が安心してしまう。これはこれでいいことではあるのでしょう。人間にこのような意識があるということですから。
しかしこの意識で堕落をしてはよろしくありません。
道理を信じ安心して向上を願い、行動することが向上の喜びをもたらすからです。
意識は美化する、のですから。大いに美化するためには大いにチャレンジし、行動してこそ思い出を多くするのです。
自分の体を通して作った思い出だからこそ忘れられないのです。
ただ体が楽だ、動かさないから楽だ、では、何も思い出としては残りません。残らない所か、虚しさが去来するだけの思い出となることだけは確かです。
自分の思いを大切に夢に向かうことが大事です。
明日は午前10時より心華寺「春季・彼岸会、施餓鬼法要」です。今、在るのはご先祖様があればこそ。
悼む心が発想の第一です。身近な人への悼む心、思いやりの心を大きくすることです。思いやりの心が大きく強ければ強いほど、社会に役立つ工夫と発想となるのです。
そうか、思いやりが大事か、わかった、といって、行動が無ければ何もならないのです。明日午前10時からです、お待ちいたしております。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。               合掌