普段

おはようございます。

春の嵐のような風が夜中中吹き渡り今も風の音が聞こえており、妙な暖かさです。
京都も一昨日桜の開花が報じられました。暑さ寒さも彼岸まで、とは言うもののずいぶんと早い開花です。寺の桜は来週くらいかもしれません。
木蓮の花はきれいに誇らしげに咲き、下の方では小手毬の花が群れをなして負けじと咲いています。
花は互いに競い合うこともなく咲いております。そこに私たちは惹かれるのでしょう。人間も花のように心の花を咲かせたいものです。
今日は春のお彼岸のお中日、古人は何事も日を限って精進することをしました。これも生活から生まれた知恵でありましょう。
春秋共にお彼岸は一週間、七日と決まっています。せめて七日間はご先祖様へ尽くしなさい、ということです。
「普段の生活から」。
私たちの人格は普段の生活から出来上がっていきます。繰り返しの中で人格と行動精神が作り上げられ、何事かを為すとき、そのことが如実に表れてくるのです。
ですから普段の生活をただ漠然としてはなりません。漠然と過ごしますと、いざ、というときに何もできない自分が作られているからです。
普段の生活はすべて事を起こす前の「準備だ」ということを思うべきです。
古人は朝起きたら布団を上げ、洗面をし、一番にご神仏に「お茶湯、水」をお供えし、「祈りなさい」と教えたのです。
掃除をし、整理整頓をして、心静かにして、一日の過ごし方に思いを馳せ、確かに対する準備。
これは「対人関係の根本を教えた」のです。自身の心構え、人様と接するときの心構えです。
社会人として先ず何が大事かと言いますと「対人関係」です。出会いで「一生が決まる」といっても過言ではないのです。利休は「一期一会(いちごいちえ)」と言いました。
「一生は一度の出会いで決まる」と利休は明言したのです。
教えというものは必要としない人間にとっては「強制」としか映りません。しかし教えというものは「事を為す場合に」、知っている者と、知らざる者とでは「天地の違いとなって現れる」のです。
これほど教えの差というものは恐ろしいものなのです。
賢者は「歴史から学ぶ」という言葉もあります。今時の人はお彼岸て何?、と、全く知らないという人も多くあります。
これは大変恐ろしいことで、ご先祖様を敬うと言うことは「一日の、一生の基本」でもあるのです。
このことは普段から行っていきますと。何事に対しての「準備を疎かにしなくなる」人格を形成することとなるのです。
積小為大(せきしょういだい)、日々のコツコツとした積み上げが大なる人格を作るのです。
今日は午前10時から心華寺の「春季・彼岸会、施餓鬼法要」です、是非お参り下さい。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。               合掌