仕える

おはようございます。

先日から度々「仕える」という話を書いております。なぜ度々このようなことを書いているかと申しますと。「生き様」を持ってほしいと念じるからです。生き様とは、人様に知って貰うためではなく、「自身の人生の指針」です。
「仕える」。
仕える、ということですから、「打算的生き方ではない」「見返りは考えない」ということです。
これは「理想」です。理想の実現は古来からなかなかに難しいものとされています。しかし歴史を学びますと、この理想に向かって歩んだ人が、現実世界で「イキイキと成功し名をなしている」のですから、不思議で面白いことです。
これはやはり「人は人を求めている」ということの「証(あかし)」でありましょう。
現実と理想の乖離(かいり。相反すること)は当然にあることです。しかしそこで理想を追求しなければ「心胆は錬りあがらず」、流されていくだけの人生となるのです。
生き様を持っている人は「学習を怠らない」のです。事上磨練(じじょうまれん、現実の中で工夫をかさねること)を行うのです。
このような人はどんな仕事をしたとしても必ず「能力を発揮する」こととなるのです。なぜなら「仕える」が生き様だからです。
生き様、こう生きるぞ、という目標がなければ「的(まと)なしで、弓をひくようなもの」で、何の力を養うこともできません。
志、生き様を確かにすれば、どのような困難が来たったとしてもそれを乗り越えられるのです。生き様に徹すれば強い「心気」が培われていくからです。
今日は愛宕寺の「月例・幸福開運護摩祈願祭」です。ご一緒に御仏にお仕えし、多くの人にお仕えする気構えを養いましょう。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。               合掌