改める

おはようございます。

今日の午前中に一組、お昼から一組の研修生が帰りますと寺は久しぶりに静かになります。研修時はいつも心配ですが、やはり無事で元気に下山いただくことが一番です。
「改める」。
新人の皆さんにはいろいろ話を致しましたが、論語、衞霊公第十五、二十九条に「子曰く、過ちて改めざる、是を過ちと謂(い)う。」とあります。
意は「孔子言う、人には、何人と雖(いえど)も過ちのない者はいないが、それを過ちと気付いて改めて行く事に依って、結局過ちなき姿にもどるのである。然(しか)るに過ちを犯しながら、その過ちを改めないでおれば、それが真の過ちになるのであるから、これを過ちというのである。」
理性と感情、情熱を燃やし、人生に真っ正面から取り組んでいる私たちです。情熱の余り間違いや、過ちを犯しても、その過ちを認め難いのが、私たちでもあります。
何で自分が悪いのだ、何で自分が責められなければいけないのかと、心の中に納得のできない感情が湧いて来るのも事実です。しかし、やはり反省して、改めることが自分を大きく豊かにしていくのです。
経験、体験をしなければわかり得ないことが多いものです。経験、体験しなければ分からない、といった方がいいかもしれません。
時に素直に改める自分を作る必要があります、同じ過ちを再びすることなく夢の実現のために。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。               合掌