自分を習う

おはようございます。

幼少年時代、大変に臆病な私でした。ある時から「自分を習う」ようにして、今日も「自分を習う在り方」をしております。
物心つきますと、どうしても自分と人とを見比べてしまうのが人間です。そうしますと、人よりもできればいいのですが、そうでないのが世の中で(できる方には、お詫びします)、気づきますと、劣等感にさいなまれていました。
「自分を習う」。
人と比べないで生きる、ということに、あるとき目覚め、この世界に入ってからは一層「自分を習う」ということを確かにできるようになったのです。
自分に習う、ということは、どういうことかと言いますと。「自分の中で、できると思うことを続け磨いていく」ということです。
「習うということは毎日行う」ということです。
コツコツと、毎日毎日繰り返し習うのです。習いますと、不思議なことに、「しなければならないことが、また自分自身が教えてくれる」のです。このことが「自分に習う」ということでも又あるのです。
自分に習っていますと、確かな自分と出会えるようになりました。どのようなことかといいますと、「いい顔をしなくなる」ということです。自分に「嘘をつかなくなる」のです。言ってみれば「見栄を張らない」。
私たちには「自己防衛本能が在ります」。いわゆる「誤った」自己防衛をしなくなるのです。
できないことを、「出来るとは言わなくなる」のです。それまでは、できないのに、出来ると言って嘘をつき、人が怖くなり、どこに出るのもイヤになった時がありました。
自分に習う、ということをするようになって、本当の自己防衛ができるようになったと考えています。見栄を張らず、言い訳をせず、大言をはかず、自分を高める。
自分を磨く事を確かにして、そして自分を生かしていただこうと、思考も、行動も行ってきたのです。
私たちが社会貢献ができるのは「自分の能力で」です。いい顔をしたいと考えたときから、「悩みを背負う人生と化す」ことを知ったのです。
論語、為政第二、十七条に「子曰く、由(いう)、女(なんじ)に之を知るを誨(おし)えんか。之(これ)を知るを之を知ると為(な)し、知らざるを知らずと為せ。是(こ)れ知るなり」。
意は「孔子は、子路に向かってその名を呼び、由よなんじに物事を知るということを教えてやろう。自分の知ってることは、この事は知っておる事とし、知らない事はまだ知らない事であると、心にはっきり区別して認識するがよい。これが本当に知ることであり、それが又、更に知識を得て行く道である、と言った。」。
まったく、この通りでしょう。真実知識を深め、豊かに在りたいのであれば、このように在るべきです。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。               合掌