中る

おはようございます。

4月も後半、今日から新しい週、急がば回れ、身近なところから確実に行い、しっかりと自分を養っていきましょう。
昨夕、M&Uスクールの皆さんは元気にお帰りになりました。毎月、東京や遠方から復習に、また新たに学びにやってくる、素晴らしいことと感動し、刺激を受けております。
潜在意識、潜在能力の勉強を行うのがM&Uスクール。私たちには無限の可能性が潜在しております。このことに気づいただけでも出会いを疎かにしなくなります。
これもまた「自分を習う」きっかけに気づくことです。
「中(あた)る」。
昨日は「中庸(ちゅうよう)」の言葉を書きました。中庸の「中」は「あたる」と読みます。また「バランスの良い意識」、「かたよっていない意識」のことを言い、本来の私たちの意識は「無心」であるということです。
「庸」は「身近」なこと又は「誰でもができること」を言います。
ですから「喜怒哀楽」、喜怒哀楽に中りますと、喜怒哀楽の「心が」外面化されることとなるのです。私たちの潜在的な意識の中に「喜怒哀楽が在るのではなく」、外からの刺激に拠って「生じる」ということです。
そこで、問題は、中った後、「どう在るか、どう対処するか、どう行動するか」が後の「人生を大きく変えていく」こととなるのです。
そのために、「どう在るべきかを学ぶ必要性がある」のです。「対人関係の要がここにある」のです。対人関係によって、人生の展開が大きく変わることは皆さんも承知の如くです。
そこに「心学」の重要性があるのです。
論語、衞霊公第十五、二十三条に「子貢問(しこうと)いて曰く、一言にして以て身を終うるまで之を行う可(べ)き者有りや。曰く、其れ恕(じょ)か。己の欲せざる所、人に施すこと勿(な)かれ。」。
意は「子貢が、ただ一言で、しかも一生涯、身に行ってさしつかえのない名言がありましょうか、と質問した。これに対して孔子は、それは恕であろうか。その恕というのは、自分が人からされたくないと思うことを、人にもしかけないということである、と教えた。」。
いろいろな現実に「中る」のが人生です。しかし中った後の行動は、恕でありたいと念じています。
そうすることで素晴らしい人の輪が広がることは間違いのないことです。今週もしっかりと歩みましょう。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。               合掌