愚痴らない

おはようございます。

昨日はいいお天気でした、今朝は強い雨が降っています。又週末にかけてお天気はぐずつくようで、自然はままになりません、受け止めるしかありません。結構、お天気になんの、かんのと言いながらも、対処しているのが私たちです。
「身近な人に愚痴らない」。
夢を目指しながら、愚痴ってしまう、志を持ちながら、悶々としている。このような思いにかられるのは、人様と接するとき、確かな道に沿っていないことが考えられます。
そして身近で大切な人に愚痴り、心が離れ、人を失い、自分を見失うという情況を作り出すのです。
「和は天下の達道」。人との和、対人関係においての和がなければ、夢や志は達成できません、すべからく人の合力、協力、縁によって物事は達成することになっているのです。
先日から「中庸」の語を時折書いています。中庸第八章に、
「君子の道四あり。丘は未だ一を能くせず。子に求むる所、以て父に事(つか)うるは、未だ能くせざるなり。臣に求むる所、以て君に事うるは、未だ能くせざるなり。弟に求むる所、以て兄に事うるは、未だ能くせざるなり。朋友に求むる所、先ずこれを施すは、未だ能くせざるなり。」
意は「凡そ君子の則るべく行うべき人倫の道には四通りあるが、私(丘とは孔子の名)自身未だそれらのいずれをも能くするまでに至っていない。
四通りとはまず、わが子がこのように私に事えて貰いたいと要望するような孝の道、その通りに私が父に事えることなど到底できることではない。
同様に部下に要望するような忠の道、その通りに私が上にお事えするなど到底できるところではない。
同じく弟に要望するような悌の道、その通りに私が兄に事えることなど到底できはしない。
そしてまた、朋友に要望するような信の道、それを私の方から先に朋友に実践することなど到底なし得ない所である。」。
この四つの道は、私たちの日常生活の間に必ず当面し、実践しないわけにはいかない人倫の道であります。それらの卑近な道さえ完全に行うことは容易でないのに、私たちは、とかく人に向かってはその完璧な実践を要望し、期待しがちであります。
そうした期待や要望なりは、決して和を導くものではないのです。逆に和を乱すこととなっているのです。
孔子は積極的に己自身の未熟を知り、グチや不平は己に因ることを知り、四通りの実践を常に心がけたのであります。
私たちも是非見習うことでしょう、習うと言うことは「常に行う」ということであることをお忘れになりませんように。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。               合掌