事がならないのは

おはようございます。

景気が上向いているのでしょうか、それとも団塊世代が退職して行楽地を周り楽しんでいるのでしょうか、新幹線や駅が混雑しております。いずれにしても繁盛していることは喜ばしいことです。
人が楽しそうに行き交っているのもいいものです。修学旅行生が座ってにぎやかにホームにいるのもいいもので、あの頃は何も考えずに、目の前の楽しさを追っていたことも思い出されます。昔を懐かしむ、これもいいものです。
「事がならないのは」。
何か目標、志を立てながら達成できない理由の一つは、「磨かない、修練しない」ことがあげられます。また「継続しない」ことです。進むも、止まるも己にあり、他にあるのではないのです。
私たちの周囲には素晴らしい「人の存在があります」。人の存在とは「自分を映す鏡」でもあります。鏡の前に立ちますと、身だしなみが整っているかどうかが歴然とします。それと同じように。
素晴らしい人の前に出ますと、「自分と人の違いをハッキリと映し出してくれる」のです。このことが「人の存在の嬉しさ」です。ですから人の存在は私にとって人生を歩む上に於いての「一里塚」のような存在なのです。
「どこをどうすれば、何を直せば」良いのかの「ヒントを下さる」のです。そして自分を磨き、修練するのです。
日々祈りますのも、心の置き所、気構えを確かにする鏡でもあるのです。今日は24日ですので皆さんとご一緒に祈ることができる幸せの日です。
何度か書いておりますが、幸せとは、「思いがけない喜びに出会うこと」をいいます。出会いをヒントにして、磨き、修練して得た結果を「福」というのです。
ですから私は「幸福多い人生を歩んでいる」ことに感謝しています。沢山の鏡を頂いているからです。沢山の人との出会いから多くのことを「修正できる幸せ」です。
午前10時から愛宕寺「月例・幸福開運護摩祈願祭」。沢山の素晴らしい人との出会いが待っています。進むも止まるも自分次第、もちろん素晴らしい人生を願っている皆さんは、前進する行動をなさることと信じております。
護摩の炎が煩悩を焼き尽くしてもくれます。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。               合掌