守られている

おはようございます。

連休で五月晴れ、きっと皆さんは楽しく過ごしておられることでしょう。今日は第一日曜日ですので心華寺では「月例・幸福開運護摩祈願祭」の楽しい日です。
私の一番の楽しみは「祈り」です。皆さんの幸せを日々祈ることが楽しみ、昨朝もお護摩を終え、後をふり返りますと、毎日お参りにこられる、お若いご夫婦がにこやかに挨拶してくれました、奥さんのお腹がずいぶんと大きくなり、あと十日もすれば生まれるとかで、順調です、と笑顔で話してくださる、嬉しい一時です。
「守られている」。
守られている、と私は考えております。ですから、どのようなことがあっても人様に対しまして「不信感」を持つ、ということがありません。
人生の目標を立て、人様の目から見まして成功を遂げておられる方々の共通項の一つは、不遇と思われる時や、苦しい事態が生じたときでも「光明を見失わない」ということがあげられます。
言葉を換えて言いますと、「人に不信感を持たない」ということです。結局は私たちは「人様の協力無しでは何事も達成できない」のです。
事が上手く行かない現実が生じて、一番愚かなことは「身近な人に不信感を持つ」ということです。身近な人を大事にしなければいけないのに、それをしない。このことで事態を最悪な方向へさらに加速させてしまうこととなるのです。
このような思考、行動にならないために、みんなに「守られている」、みんなの「お陰」という「思い」で「人様に接する」ことが肝要なのです。
良いときも、悪いときもあるのが人生、悪いことが起きたのは「人のせい」というような考えでは、誰も協力などはしてはくれないのです。
良いことがあれば、皆さんのお陰、皆さんに守られた結果、悪いことが起きれば、自分が至らなかった、自分が未熟だった、と考え「責任は自分が取る」、という「気概」が大事なのです。その気概を持てるのも、「守られている、お陰様」という在り方から生まれてくるのです。
人様に不信感を持つようであっては決して人様の協力は得られず、仕事も、何事の達成も覚束ないのです。
祈ることで、多くの人に守られていることを実感するのです。そのことで又人様が輝いて見えてくるのです。だからこそ又多くの人と出会いが得られることを知りました。
今日も皆様とご一緒に祈れる楽しみがあることを喜んでいます。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。               合掌