政治の要道

おはようございます。

連休が終わりましたが、連休中にお仕事の方はこれからお休みをという方もおありになるのではないでしょうか。いずれにしましても、新たな日々を大切にしなければなりません。
ここ数年政治が動いております。このことは私たちの問題です。では政治とはどのような方向を示すべきなのでしょう。
「政治の要道」。
論語、顔淵第十二、七条に一つの示唆があります。「子貢(しこう)、政(まつりごと)を問う。子曰く、食を足(た)し、兵を足し、民之(たみこれ)を信にす。子貢曰く、必ず已(や)むことを得ずして斯(こ)の三者を去らば、何(いず)れをか先にせん。曰く、兵を去らん。子貢曰く、必ず已むことを得ずして斯の二者を去らば、何れをか先にせん。曰く、食を去らん。古自(いにしえよ)り皆死有り。民、信無ければ立たず。」。
意は「子貢が政治の要道を質問した。これに対して孔子は、食糧を充足して民の食生活を安定させること、武備を完全にして国家の安寧を期すること、人民はこれを導き教えて信義あらしめる、この三つが政治の要道である、と教えた。
これにつき子貢は更に突込んだ質問を続けて、どうしてもやむを得ない事情のために、この三つの中どれか一つを捨て去らなければならないとすれば、何を一番初めに捨て去ったらよろしいでしょうか、と尋ねた。孔子は、武備を捨てよう、と答えた。更に子貢が、残りの二つの中、どちらかを捨て去らねばならぬとすれば、何れを先に捨てたらよろしいでしょう、と質問すると、孔子は、食を捨てよう、と答え、更に語を続けて、なるほど食を捨て去れば、民は餓死することにもなろうが、しかし死ということは古来すべての民の免れぬところである。死の大事であるにもまして、もし民に信義がなくなれば、一瞬一刻も身を立てておることができぬであろう、と教えた。」。
まことに私たちは、信義がお互いの間に存することの安心感の下にのみ、この世の中に存在できるのです。もし己が友を信じ得ず、友が己を信じ得ず、更に進んで、親が子を信ぜず、子が親を信ぜず、夫が妻を信ぜず、妻が夫を信じないような社会を想像し、或いは又、政府は民の唯一のたよるべき柱であり、この政府を信じ得ない状態が続くとするならば、それは武備もいわずもがな、食糧の極めて少ない場合の生活を想像する以上に苦しいことであります。
孔子が「信義」を以て人のよって立つ根本であるとし、政治の要道として民をして信ならしめることを強調したのは、さすがでありましょう。
今夜は「にんげん学」一宮講座、会場でお待ちいたしております。信義の厚い社会を作りたいものです。
 
世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。               合掌