体現

おはようございます。

「にんげん学」東京講座は先日100回を迎えました。これも一重にご出席下さる皆様、そしてお世話下さる、Nさん、Oさんのお陰です。各地の講座も同じで、皆様には感謝いたします。これからもどうぞ「心学」をお続け下さい。
心は「どうにでもなる」などと「安易に考えてはなりません」。「心、コロコロ」、心は一定ではなく、「飛び跳ねるもの」です。だからこそ「多くの気づき」を得ることとなるのです。
心を知らず、飛び跳ねるに任せておれば、「迷い、悩み多き人生と化す」しかなく、迷い無く、意義在る人生となすために「道に沿うことで、己が心を心として」、人生を意義あらしめ、生涯を充実した使命感に目覚めたものとできるのです。
飛び跳ねて、自分の心でありながら、外の世界に心を奪われ、苦しみの多い人生を送らないためにも、たしかに「心学」を修めてまいりましょう。
明後日は「にんげん学」大阪講座、大阪地区の皆さん会場でお待ちいたしております。
「体現」。
先の言葉は「たいげん」と読みます。教えはただ単に言葉として言いますと、「抽象的」です。抽象的というのは、実態がつかめない、ということです。いくら机上で知識を得て、百点満点を取ったとしても、極論すれば、畳の上で泳ぎを練習して、うまくなったと考えて、水に跳び込めば、どうなるか?、「おぼれる、のみ」であります。
これでわかりますように、私たちの学び、心学は行動、実践を前提としていることに外なりません。身体、行動で示すことです。「学びー実践ー体得ー反省ー学びー実践ー体得ー反省」の繰り返しを行うことによって錬磨し高められるです。
どんなに言葉をよくしても、行動がなければ「信用がならない」ように、体現しなければ、「人柄とはならない」のが道理であるのです。
教えを得て何故実践が大事かと申しますと、実践では理屈ではなく、頭ではなく、身体で、皮膚で考えるようになり、精神が鍛えられるからです。何度かの失敗を繰り返す中で、自分の志を忘れず、失うことが無くなって初めて、「精神の強さが生まれる」のです。そして「骨のある人格を作っていく」事となるのです。
実践ができて、そして失敗を重ね、そこで教えを忘れなければ、「教えが身についたとなる」のです。
あなたの誠意とは何ですか、行動実践し、結果を出し、形を作り、物を生み出してこその誠意であります。
何もせずでは誠意とは言えないのです、又言ってはならないのです。
学ぶとは、実践すること、体現すること、であります。一日、一日確実に積み重ねるためにも、忘れるという「心を亡なう」ことのないように学びを続け、そして実践する己を確立していきましょう。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。               合掌