下問

おはようございます。

ついつい口に出してしまいますが、早いですね〜日にちの経つのは、もう5月も半月済んでしまいました、今日は日曜ですので、ゆっくりとして、明日からは気を引き締め直してお仕事くださいますよう。
明日は「にんげん学」京都講座です、5月後半のスタート、確かにするためにも京都地区の皆さんご出席をお待ちいたしております。
「下問(かもん)を恥じず」。
年令を重ねたり、経験を積んでいきますと、往々にして「学ぶことを忘れてしまう」のが私たちでもあります。特に私のような立場にいる人間はこのことに心しなければならないと思っています。
また親しくなった場合でも同じような気持ちになってしまいがちです。このことに用心しなければ友を失ってしまうということにもなりかねないからです。
問うことを忘れてしまったり、問うことをしなくなりますと、そこで進化を自らストップさせてしまいます。せっかく知識を得て、技術を磨き、会社を発展させてきたにもかかわらず、問うことをしなくなって、下降線をたどるということではよろしくないでしょう。
先の言葉、下問(かもん)というのは、自分より年下の人や、未熟と思われる人、これからの人に、素晴らしいと感じたこと、自分より優れていることに対して問うことを恥じないという意味です。
道を問うことに熱心でなくなり、現在の地位や、立場で人に話すことばかりしておりますと、周囲の成長も、進化も見えなくなるのです。問わなくなる、ということは「慢心でもある」のです。
慢心は「限界を示している」。
慢心している人は慢心と気づきません、だからこそ問うことをしなくなるのです。慢心しないためにも、問うことを忘れない、問うことを続けることが人生大事であるのです。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。               合掌