不器用に

おはようございます。

いやはや本当に光陰矢のごとしです、今月も三日を残すだけ、今月最終の週末、いかがですか今月は何を育てましたか、育てる物がなければ取り入れはできません、先日徂徠の語を書きましたが、生み育て、養うことをしなければ何もできないのです。
力を尽くすには尽くす物がなければ尽くしようがないというわけです。何もすることが無いが如く、茫然自失として、一日を無為に過ごすことほど精神をダメにするものはありません。
外に対するものが無ければ自分の心身を養い育てることが道を切り開いていくのです。先ずこのことに意を強く用いることでしょう。己を磨くこともせず、何か良いことがないかと考えても土台無理な話です。
「不器用に生きる」。
人間誰しも器用、不器用があります。こうはいっても抽象的ではあるのですが、一側面を見て人は人は測ろうとしているからです。人を測ろうとする場合、自分に都合がよいか悪いかで判断していることが多いのです。
もちろん皆さんは多くの人に役立ちたいと志を高くして歩んでおられるのでしょうが、人の役に立つと言いますと、人が言ったことに、直ちに反応して見事にやりこなすかの如く対応する人を器用と断じているのではないでしょうか。
それは器用な人ではなく、便利な人です。
古来から「器用貧乏」などという言葉のあるが如く、便利と、器用を混同している見方です。だから器用な人を見てうらやましがる必要はないのです。ただし尊敬はしなければいけません。
先日も書きましたが、「自分のためになること」が「人のためになる」のです。直ぐにできることを望むことは決して悪いことではありませんが、出来ないからといって自分が不器用だとは考えないことです。
私は不器用だと知って「一つのことを養い育ててきたのです」。それは先にも書きました如く、「自分のためになることだと」考えたからに外なりません。これほど不器用なことはないでありましょう。
そうすることで人様とご縁をいただいたのです。何でもできる人は少ないでありましょう。何でもできそうに感じる人は多くおりますが、そのような人は「一つのことを不器用に続けてきた人」です。
続けることで、辛抱や心胆が錬りあがり、不屈の精神が養われてきたのだと、素晴らしい人を見て実感するのです。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。               合掌