体験を積む

おはようございます。

一昨日上京するおりに富士のお山を拝もうと新幹線に乗り込んだのですが、いつの間にか本を読んでいる間にZzz・・・、帰りは薄曇りで×、やはり心がけが悪かったようです。
拝もうと思ったのだから眠るなどというのはとんでもないことで、自分の気持ちのダラケさ加減に情けなく思っております。
今朝起きますと東の空の雲が七色に、まるで虹がかかったようでした、今日巡礼に出発する皆さんを祝福しているようです。6時に出発、見送ってから護摩を修します。
人生は体験を積むこと、それも体験したことで苦手と思ったことや、自分が自分で鍛えようと思ったことに対しての体験、目標に向け大いに活力を出し自分を練る、修練、事上磨練、現実生活で錬り上げ、それを元にまた思索、工夫を重ねる、この意識が根本でなければいけません。
それによって人生は大きく違ってくると考えるからです。
「体験を積む」。
知識を得ることは大事。しかしそのようなことくらいでは人間性に重みも深みともならず、行動しなければ「妄想」としかなり得ず、考え方も行動も「落ち着かずどっしりとはしてこない」のです。
体験、実践が何故重要なのかと申しますと、
荀子が言っていますように「窮して困(くる)しまず、憂えて意衰(こころおとろ)えず、禍福終始(の実体・因果)を知って惑わざる」ためであります。
行動がない、できない、というのは真実自身でもって体得をしよう、活きた人生を送ろうとしていないからであります。
知識だけで行動がなければ現実生活の中で禍福終始を体得できず弊害を多くし、争いを招き、行動に覇気も出てこないのです。なぜならば体験を通さなければ真実の思索や意義が体得できないからです。
体験を積むことによって因果の道理が身体で理解でき、真実物事の道理が魂で理解できるのです。ですから、窮しても困らず、憂える時があっても意衰えなくなり、モチベーションは落ちないのです。
今日から三泊四日で「小豆島八十八カ所巡礼」、これも大きな体験を積むことです。お出かけの皆さんお気を付けて行ってらっしゃい。留守は確かに守っておきます。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。               合掌