言葉に囚われない

おはようございます。

一人本堂で静かに大きな声でお勤めをする、良い気持ちです。巡礼の皆様も各札所で大きな声でご一緒に唱和しさわやかな時間を共有していることでしょう。
「言葉に囚われない」。
私たちは目標を予め確かに決めます。しかしながら「言葉通り、目標通りにいかない」ということもある、ということを「確かにしていなければいけません」。そうしなければ「落とし穴にはまってしまう」からです。
言葉に囚われ落とし穴にはまってしまいますと「何で?」という「疑い」を生じ、「自分を疑い、人を疑う」という「最悪な情況を生みだしてしまう」からです。
私たちの思考行動は「言葉に依る」ことは間違いのないところです。しかし言葉というものは「必ずなる」と「必定的に予定し得るべきではない」のです。
「規準として」言葉を持つことは大事ですが、余りにも言葉に執着してしまいますと、「視野狭窄」となり、「人の言葉に耳を貸さなくなる」状態を生み出すからです。
せっかく目標を立て、言葉を規準にしているにもかかわらず、頼りすぎてしまいますと、「反省しなくなり」結局は「修正できなくなり」最後には破綻を来すという事態を招くのです。
言葉を発すると言うことは、目標を達成することであり、「言葉に執着するものではない」のです。目標に到達するために言葉を知り、言葉を立てているわけですから、「過程で過ちに気づいたら」、「素直に修正すべき」なのです。
言葉に執着してしまいますと、目標までのプロセス、過程の中で「人との意見の相違に遭ったとき」残されているのは「衝突しかない」のです。このようなことは「愚かであって」、「己を見失っている」のです。
言葉を大切にすると言うことは、言葉に執着するのではなく、己の行いを省みて「自重し」、「人の意見も聞きいれてこそ」であるのです。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。               合掌