時習

おはようございます。

今朝はブロバイダーのメンテナンスでアップできず今の時間です。朝一番で目を通してくださる皆さんお待たせしました。
昨日の話につながりますが、会得、体得するには「時習(じしゅう)」が大事です。この語は「論語、学而第一」の冒頭、第一条に書かれてある語です。
「時習」。
これは「時に習う」と訓じます。この時習ほど大変なことはありません。「常にいつでも」という意味があるからです。これだという方法を学んだら、生涯この時習を貫くことが「人間の器を大きくする」のです。
時習、習慣は「第二の天性」とさえ言われています。せっかくの天性を活かさないのはもったいない話です。
直ぐに役立つ、直ぐ成果につながる、このようなことを考えて周囲に翻弄されるようであっては何一つ人間として物にできないのが相場。たとえ知識として直ぐ得ることができたとしても「人間の魅力とはならず」、環境や状況が変わればウロウロするのがオチであります。
辛抱することの辛さは昨日も書きましたが、外の雑音に負けて貫くことを忘れるようであってはこれ又何をか況やでしょう。
時習するということは「気構え、心構え」であって、基本、人間としての土台です。土台がしっかりしておらずば何等その上に構築できるはずもないのです。
「教学半(なか)ばす」という語がありますが、私たちは学べば学ぶほど「初めてその足らざるを知る」からです。繰り返すことの難しさ、時習の難しさを知れば、敢然と立ち向かうのです。それこそが人間でもあるのです。
昨日夕方7時半「小豆島八十八カ所」巡礼から皆さん元気に帰ってきました。番外を入れて九十四カ所巡拝したそうです。
三泊四日で九十四カ所ですから読経三昧だったでしょう、一意専心これも時習のきっかけ、参加者の皆さんはこれから安心の人生を送られることでしょう、次回の巡礼にも是非ご一緒下さい。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。               合掌