自分の心

おはようございます。

私たちは「心」を授かりました。この心は「どのようにでも活かす」ことが可能です。また遺憾なく活かすべきだと思っています。
心は水のようだと先日書きました、無限に変化する心、だからこそ周囲に翻弄され自分を見失うようであっては活力ある人生とはならなくなるのです。
「自分の心」。
本音と建て前とはよく言われることです。どちらも大事です。しかし「事に終始あり」、物事に「先後」があります。ですから「本音」、「自分の心を詐らない」ことが先ず大事です。
真理を学ぶ、道を修めるとは要するに、自分に与えられた心をいかんなく究明し発揮することです。
自分の心を自分に詐るようであっては人生の確立、イキイキとした人生とはなるはずもなく。私は私の思い(心)で一歩を踏み出しました。その上で心の中に「同行二人の信じる仏様を持った」のです。
言葉を換えて言いますと「相棒です(仏様をこのように表現するのは失礼なことを百も承知で、皆さんにわかりやすくと思ってのことです)」、この相棒は教え諭してはくださいますが、「言葉を発しません」。叱ることもしなければ、誉めることもありません「無言」です。
ただただ自分で「約した」ことですので、自分の心に忠実に勤めるのです。自分の人生を自分が「真剣に勤める」のです。このことをひたすら続けていますと、自分の本質が見えてくるのです。本質が見えてきますと、汲々とせずゆったりと己を磨き高め人生に処することができるのです。
自分の心と真っ直ぐ対峙する生涯の相棒「祈り、瞑想、勉学」を持つことは己の精神を確かにする上では重要な要、ポイントです。一日のスタートの朝にイキイキとした新たな自分の心を確かにしてこそ一日が楽しくなるのです。
明日は「にんげん学」京都講座、京都地区の皆さん会場でお会いいたしましょう。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。               合掌