習熟

おはようございます。

心がけていることは皆さんもあると思います。何かを学んでいることとも思います。いつも書いていますように、学ぶ=まねぶです。まねてこそ、行動してこそ目標に到達するのです。行動しなければ何物も得られません。
「習熟」。
習うことが熟してくると(習熟)、自分のものになる(体得)。自分のものになれば、ことさらに考えなくても正しさが得られ、無理をしなくても中正な道を歩むことができるようになる。(荻生徂徠。弁名)。
荻生徂徠は学ぶの本義である真似るをこのように表現しています。くり返しくり返しまねをして、体得しようとすると自然習熟し体得するというのです。
そして何よりもどのような状況下にあっても中正を失わない、確かな対応が取れるのだといっているのです。
これは「知の身体的了解」です。「心学」は全ての基本中の基本です。心が土台です。ですから何を修練するにしても、この「思いを強くして行う」ことです。思ったくらいではダメであります、ひたすら「修練」です。
音楽でも、スポーツでも「上達」しようとすれば、一所懸命、くり返しくり返し練習をするのです。練習を積み重ねていきますと、ある日突然今までできなかったことが出来るようになる。身体で覚えるとは、そのようなプロセスなのです。
真似ることなく、理で何かを得ようとしても、言葉としては繊細に説き聞くことはできるかもしれませんが、得られるものは、所詮本質の一端でしかないのです。
真似る、学ぶ本質を知り「確かなイメージとしての形をしっかりとして(お手本)」おれば、その形、姿勢、行動の中に「多くの理」が凝集されていることがわかるのです。行動して理を知る、理を知って行動する、この繰り返しをすることが「人生を揺るぎないものとする」のです。
明日は愛宕寺「月例・幸福開運護摩祈願祭」、午前10時からです。幸せと大いなる開運のための行動しましょう。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。               合掌