人間の真価

おはようございます。

生老病死を「四苦」と言ったのはお釈迦様。生きること、年をとること、病むこと、死は避けることの出来ない「苦」であると。
では苦であるから楽しい人生とならないのかと言えば、そうでないのが人生であることも事実、結構楽しみも喜びも多くあります。
苦があるから楽を願う、夢を持つようにもなる。年老いていくから確かな計画を立てるようにもなる。また時間の経過を知ることで「育てる喜びにも目覚める」。病むからこそ気をつけ用心するようにもなる。死ぬから諦観を持てるようにもなり、教え修養を大切にもする。
こう見ていきますと人生まんざらでもない。苦があるからこそ人生でもあることが確かにわかるのです。
「人間の真価」。
楽を願って苦に衝突したとき逃げの一手では真の楽しさは味わえず。人生も意義あるものにできません、何よりも手応えがないようでは面白くもおかしくもない人生と化すしかないのです。
苦や不自由を実感するからこそ、夢、志を持つに至るのであって、夢、志に真っ直ぐに立ち向かって様々な障害にぶつかって初めて「乗り越えなければならない障害を知り」、そこで初めて人は「学ぶ」のです。学ぶ必要性を感じる。
目標に向かい障害にぶつかってこそ初めて「心胆が練り上げられる」のです。また「我慢強さも鍛えられる」のです。
人は利口ではありますが、賢いわけではなく、利口が天下を取ったなどという話も、歴史の中には見あたらず、口先だけでは何の説得力もないのです。
物心ついて障害にぶちあったって、そのときに腹の底から「自分にコンチキショウ」と思い、「初めてやりたいこと、やらねばならないことに目覚める」のです。そして「賢さに目覚める」のです。
やりたいことができないという苦しみは、夢に目覚めたとき「孤独を忘れさせ」「夢中になる己と出会う」のです。
お釈迦様が農耕祭の時に、猛禽が小鳥を狙い、猛禽を人間が狙い、その人間を強い人間が虐げる姿を見て苦を感じ、どうすれば、と行動したのです。
真に苦を感じたればこそ、どのような障害にも気落ちせず、工夫を重ね、因果の道理を覚り大悟したのです。
何か苦に衝突したとき初めて人は賢くなるのです。そして真実自分に目覚め使命感を持つに至るのです。それは誰しもが苦を感じることを覚り、自分だけ一人苦労をしているのではないことに目覚めるからでもあるのです。
何かを乗り越えようと目覚めたとき、その人の真価が現れるのです。
今夜は「にんげん学」小倉講座、心学をご一緒しましょう。口先ではない、魂の底から湧き出でた、賢人の学です。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。               合掌