不器用と思っても

おはようございます。

「にんげん学」小倉講座ご出席の皆さんありがとうございました。音読はいいですね、何がいいかといっても真っ直ぐに生きている爽やかな人柄が伝わり感じるのがいいですね。来月もお会いいたしましょう。
人間は器用でないほうがいいのではないかと考えています。不器用でいいとは言いませんが、不器用だと感じている人の多くは真摯に努力することを怠りません。不器用な人間には「乗り越えなければならない課題が沢山ある」のです。
辛抱もその一つ、何事の達成も「先ず辛抱」です。辛抱、忍耐ができなくなれば人間は「自滅の道しか残されていない」のです。
「不器用と思っても」。
己を知る、ということはとても大事なことです。己を知ることは難しいことではありますが、自分が器用か、不器用かはわかるはずです。
私自身は不器用で機転も利くほうではないと感じています。ですから修業時代は兄弟弟子の中で一番叱られたことを記憶しています。
人に役立つことはとても大切なことですが、直ぐに役立つ人間となるのはなかなかに難しいことであります。
叱られる、注意されることは誰しも嬉しいはずはありません。しかしそこで腹を立て腐るようであっては何も身につくはずもないのです。
そこで「己を知る」ことが大事となります。何を知るか、と言えば、「自分はどうなりたいのか」です。私は自分の信じた道を歩む、ということです。
そして何があっても「一歩進むことを考える」ことを常としてきたのです。「進むために考える」、上手く行きそうだからとか、上手く行くだろうか、などという迷いを持たず行動する、グジグジしない、どんな障害が起きたとしても「進む」この一点、不器用に行動したのです。
何か障害が起こって、迷うのが人生ではない、考え前進するのが人生だと不器用に生きているのです。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。               合掌