情(まこと)

おはようございます。

大般若経六百巻転読会法要から早一週間。あれから比叡山報恩登山、結縁潅頂。勉強会。研修等々と予定を進めてきました。いつも考えておりますことは丁寧に行いたいということです。
思うことは又「ああもすれば、こうもすれば」との思いです。これは後悔ではなく「もっともっと人様が喜んでくださることを出来たのではないかという思い」です。
予定を立て、それを終えるだけ、ということでは何も残らず、残らないと言うよりも相手様、人様に非礼になってしまうことを恐れるからです。
わざわざ心華寺までお出でいただく、名指しで呼んでくださる、また勉強会にご出席くださる、本当に頭が下がります。
「情(まこと)」。
何がそうさせるのでしょう。それは「情」ではないでしょうか。情とは「まこと」とも読みます。偽りのない心が「情」です。皆さんの正直な思い、真っ直ぐな心「幸せに向かう真っ直ぐな行動」です。
真っ直ぐに歩もうとしますと、必ずと言って良いほどに何物かに衝突します。しかし幸せに向かう真っ直ぐな心を持っている皆さんは、素直に「窮すれば変ず、変ずれば通ず」となることを知っています。
自分の情、心に「まこと」を尽くせる人は「争わない」のです。争わないと言うことは「目標を見失わない」ということです。幸せになるために祈り、学んでいることを忘れない。だからこそ素直に「変ずる」ことができる。結果幸せに「通じる道が開かれる」。
一生懸命に祈り、学んでいるのに「何で」という祈りや学びに「疑いを持たない」のです。だからこそ「信を深くし」、「学が確かにできていく」のです。人間のパワーは感情に勝るものはありません。
祈りに、学びに素直に対しておりますと、感情が「争いのパワーとならず」、「不信のパワーとならず」、目標に向かうパワーがアップするのが「真の情(まこと)」であるのです。私たちに素晴らしいパワー、情のあることに感謝しましょう。
幸せになりたいと願いながら、少しの障害が生じると不信感とする、不満とするのが情ではありません。
真実の情とは自分の心に正直であることです。真実に目覚めれば、雨が降れば傘をさすように、日照りが続けば陰に避難するように、しっかりと現実に対処できる自分が自然と現れてくるのです。
明晩は「にんげん学」京都講座、京都地区の皆さん、会場でお待ちいたしております。孟子の「不動心」を学びましょう。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。               合掌