格(ただす)

おはようございます。

昨日研修生の皆さんの入山時には大変な土砂降り、ずぶ濡れになりながらの入山でした。自然に抗うことはできません、入山時に土砂降りだったということは天に逆らうことが出来ないが如く、何事も素直に受け止め世の中に処しなさいとの天意だったのでしょう。
それはそれとして日々幸せを感じています。福を得ているからです。何が福かといいますと、居ながらにして全国から大勢の皆さんが心華寺を訪れてくださり、様々な情報をくださる幸福です。
「人格」。
人格の格を「正す」と読みます。心とはそのままにしておけば「あちらこちらと飛び回るもの」。「コロコロとする」から心であるのです。心はコロコロとしなければこれまた役に立たないから厄介なものでもあります。
心が周囲の「物事に反応しなくなればもはや心とは言えない」からです。
だからこそ「心を正す必要がある」のです。
心を正すことは「生涯において為すべき要道」です。一過性のものとしては成らず、そのようであっては「人格とはならない」のです。
今日までこの「正すことに尽くしております」。その姿を皆さんが見てくださり、研修やお参りにお出でくださる。先日も書きましたが「「情」とは何とありがたいことでしょう。
何も人様に影響を与えたわけではなく、「こう在りたい」と今日まで歩んできただけです。先人の素晴らしい人格者を学びますと、日々やはり先人の残してくれた「道を慕い歩んでいる」ことが学び取ることができます。
一朝一夕に人格が出来上がるはずもないのです。日々の暮らしの中で「己の心の畑を耕し種を蒔き育てる」。生活の中で実践して在ることが大事であるのです。
人に親しみ、仕事に親しみ、労を労として日々暮らす。周囲の人が皆生活の中で学びを実践するために、「どう在るべきか」を示唆してくれるのです。だからこそ親しみ、労う心を以て正していくべきだと日々暮らしています。
人格も違い、価値観も違い、生活の背景も違いますが、違うからこそ普遍性を求め正していく喜びが出来ることに幸せを実感しているのです。
違う、違うと悩み苦しむのではなく、また己を深く広めることができる、学ぶことが出来る幸せです。必要性を感じなければ、どんな出会いでも出会いとはならないのです。
己を正す喜びに目覚めれば世界が広く大きくなっていくのです。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。               合掌