我が事として

おはようございます。

「にんげん学」小倉講座ご出席の皆さんありがとうございました。お暑い中感謝いたします。来月も元気にお会いいたしましょう。一人復習、音読をして論語の世界に遊んでください、心が豊かになります。日に一度くらいは異次元の世界で遊ぶこともいいのではないでしょうか。
誰しもが分かっていることの一つ「行動がなければ結果は得られない」ということです。行動がなければ一歩も進むことが叶わないからです。歩き続ければ当然目的地へ着く、当たり前の当たり前のこと。
また行動が無ければ「頼られることもない」、「発想も生まれない」このように見ていきますと「行動」とは偉大なものなのです。ですから行動は「主体性が肝要」であって、唯々諾々と盲目的に従っていたのでは「力、存在感」とはならないのです。
「我が事として」。
修業時、小僧時代から心がけていることの一つに師匠や兄弟子に命令指示されたとき、「我が事として行動する」ということを大事にしました。自分のこと、我が事であると考え行動したのです。もちろん、師や兄弟子の命令を怠らず誠実に果たすことを大切に思って行動したことではあります。
仕事をして「何故指示通りにしなければいけないのだろう」という思いを持ちながら「私ならこうする」という思いを強くして事に当たったのです。
ですから失敗したときに叱られても誰の所為にもせず、自分が失敗したと自覚できたのです。
人は人に命令指示を出すのは「自分の思惑通りの結果を出して欲しいと願っています」。ですから失敗ではなくても、思惑通りでなかったときなどもお叱りがあります。
しかし自分の思いで行動したわけですから、人と自分の「思考の差が歴然と分かった」わけですので、次の対応の仕方を知る大きな「体験知」となったのです。
それからは命令指示を出す相手が何をどのように求め望んでいるのかを考えるようにもなりました。またこちらから具体的にどのように在ることが良いのかの質問もするようになったのです。
ただ仕事を終えればいい、ただ結果を出せばいいというのではなく、人様が考え思っていることに近い状態を導くために考えるようになったのです。
何故かと言いますと、先に書きました、行動しなければ、実践を積まなければ「頼られることもなく、存在感さえ生まれない」からです。であるならば、どのように在れば命令指示を受けられるようになるかの工夫を行ったのです。
事業が発展している会社、繁盛している会社は当然の如く「お客様の意向に沿っている」のです。それはやはり普段から「相手が何を望んでいるのかの工夫を怠らない」からでしょう。
そのための「我が事として」行うことが大事であるのです。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。               合掌