陰徳

おはようございます。

8月、陰暦では葉月(はづき)。葉月という字を眺めていますと一番暑い時期なのですが涼しげに感じるのは私一人でしょうか。
田んぼの若苗をながめても、暑さとはほど遠い涼しげで、自然とは何と強いものかと感心するばかりです。理屈を知って己の非力や弱さを知るなどという馬鹿さ加減を自然を眺め蝉の声が耳を聾し何も聞こえなくなりますとふと自分を笑ってしまいます。
種を蒔き、種の時は葉の存在などはどこにも見えず、葉ばかりの時は稲穂の存在は見えず、しかし天地は見事にその生命を育み、穂が稔るのです。「陰が陽に転ずる」見事な証。
どこかで御仏が「執着を捨てろ」と言っているようです。今月もよろしくご愛読下さい。
「陰徳」。
今日は第一日曜です午前10時より心華寺「月例祭」です。執着を捨てて祈りに止まりますと「心が解放され自由になります」。
自由になるとは「教えに従うから」であり、我欲に「悩まされない」ということです。「道を歩めば繁栄する」からです。
表題の語は「いんとく」と読みます。「隠れた中に結果がある」という意味、だからこそ陰徳を積む大事があるのです。行動原理としての「心の持ち方、在り方をも言っています」。人に知られるために行動せずとも、教えに従い行動すれば必ず大いなる稔りが在るのです。
いつなる、いつ稔るなどと心悩まさずとも、法、教え(陰)に従えば必ず陽と化すのです。道理が姿、形を現すのは時間を要します。種を蒔いた田んぼには蒔いた種だけが育つはずもなく、雑草も生え、雨も酷暑もあり、さまざまな試練もあります。
試練に遭ったときこそ、信を失うことなく、「教えに止まり歩めば」必ず陽(繁栄)があるのです。また失敗をしたとしても従ってこそ「回復」するのが道理であります。回復すれば「さらに進化が得られ」以前の自分とは違うのです。道理とはそれほど凄いものです。
結果に腐って道理にない行動をすれば回復はおろか、全てを失うこととなるのです。
今日は月例祭と同時に「お盆・先祖・水子・物故者施餓鬼供養会」を行います。ご先祖様への供養こそ陰徳の最たるものです、どうぞお参り下さい。
結果(陽)だけを求めたとしても得られる道理はありません。教えという結果にたどり着く陰徳を大事にしてこそ結果を得るのです。
お金を求め、立身を求め、地位を求めれば求めるほど遠くなり、心落ち着かず、心が騒ぐのは歴然としています。それは陰と陽の時間を見れば一目瞭然、陰の時間が長いのです、そこで信と不信の二者が出るのです。陰徳を信じ積み重ねてこそ大いなる結果が在るのです。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。               合掌