ライフワーク

おはようございます。

心華寺「月例祭並びに盆・施餓鬼法要」ご参拝ありがとうございました。お暑い中ご一緒にお念仏をお唱えいただき、ご先祖様もお喜びです。
ご遠方から供養をお申し込みいただきました皆様、確かに供養回向させていただきました。愛宕寺の「盆・施餓鬼法要」は4日です、どうぞ心華寺へのお申し込みをお忘れになりました皆様是非お申し込み下さい。
己が厳しさや辛さを感じるほどに、その思いが身近な人、大勢の人様への思いやりに変わってこそ大いなる人生の活躍の舞台が与えられます。辛いから、苦しいからといって、自分で選んだ道を嫌がり避けるようであっては使命は果たせません。
8月第一週、もうすぐお盆休みもありますし暑さ対策をしっかりとして確実に自分の為すべき事に取り組んでまいりましょう。
「ライフワーク」。
自分の人生を疎かにする人はまずいないと思います。もしも人生に迷いを生じたり、悩むとするならば、その原因の一つが「ライフワークを持っていない」ということが考えられます。
ライフワークとは「一生涯を通して行うもの」のことです。人生は相手が誰であろうと、どのような情況であろうと「自分が話し、行動するもの」です。相手云々で自分が自分でなくなるなどということはないのです。
もちろん相手や情況によって緊張したり、自分でないような感情になる、いわゆるプレッシャーを感じ、上気してしまい、自分を見失うということは否めません。だからこそ「ライフワーク」が必要となのです。
日々自分が真摯に立ち向かい「錬磨するもの」です。
私は「心のニュートラル」と表現していますが、車に乗っている方であればミッションギアのことはご存じでしょう、普段であればギアのノズルはニュートラルにあります。静止している状態です、エンジンをかけていてもチェンジしない限りは車は動きません。どのような状況においても動くための「ニュートラル」が「ライフワーク」錬磨です。
この動かない状態、しかしチェンジすれば必ず動く、そして情況に応じてダウンもアップも出来る。確かな操法を持ってすれば前進も後進もできる、そして車にはハンドルも、ブレーキもついています。
そうです、何が言いたいのかと言いますと、例えれば車は自分だということです。パワーのある車(自分)を確かに操るには毎日乗っていませんと、下手になります。人生もこれと同じです。日々のトレーニング「ライフワーク」を持つことが人生には大いに必要なのです。
日々鍛錬していますと、心が清明になり、無心になるのです。そこにはお金や出世、結果などという雑念すら湧いてこないのです。
日々錬磨していますと、実力が磨かれ、不動心が養われ、自分の人生を確立しようとしている仕事を車の如く自在に操れるようになっていくのです。
そのためには日々のライフワーク、錬磨が必要であることは言うまでもありません。今夜は心のトレーニング「にんげん学」京都講座です。会場でお待ちしております。「浩然の気」の話です。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。               合掌