先祖供養の大事

おはようございます。

愛宕寺「盆・施餓鬼法要」お参りありがとうございました。ご先祖様達は皆様の供養にお喜びです。言葉を発しないからこその供養、配慮、気配りが大事です。
仕事の世界でも言われてからやったのでは「言われてからしかやらない」と相手に不足を感じさせる本になります。先人からの教えを確かにし準備を怠らず対応することが自身の進化をもたらし社会にも役立ち信頼も得るのです。ましてや親からの教えは殊更に大切です。
「先祖供養が何故大事なのか」。
先日も書きました、ご先祖様は物はもうしません、そして何もやってはくれません、だからこそ私たちの誠意が試され、「己の心の豊かさ貧しさを知る」のです。
感謝を口にしてもお返しする行動がなければ感謝は出来ていません、行動してこそご先祖様に伝わるのです。
物事の道理は順序次第にあることは何度も書いています。私たちは親から生命をいただき、育てられました。このように見ていきますと最も大切なのが「親」であります。何故かと言いますと、小が大となる、子が大人になるという順序が巌然とした事実だからです。
大きく成長したいと思うのであれば、幼少、いわゆる小さいときに確かな成長を遂げなければ大とはならないということです。
いわゆる家、己の繁栄の土台は「先祖にある」ということです。土台が確かでなければ「その上に積みあげることは叶わない」のです。家を守る、ご先祖様を守るという意識、「守るものがなければ何をする必要性も出ません」。人間としての「誇りも生まれない」のです。
大切な家族を家を守りたいという意識がなければ愛情すら湧かないといってもよいでしょう。
昨日も書きました、甘えの最初は誰に甘えるのでしょう、そう親です。小さいときは致し方ないとは言っても、大人になれば「育てられたことくらいはわかるはず」です。
ましてや仕事をするようになれば、家族を守るための、子供を育てる苦労、お金の苦労、人付き合いの苦労、様々な苦労を体験します。
この苦労を味わって、親の苦労や先祖の苦労を思い理解できないようであってはお話しにならないのです。甘えることは知っていても、お返しすることが出来ないということでは、気配り、心配りが出来ない、していないという証でもあるのです。
そこで先祖供養が大事となるのです。何も言わないから、何もしてくれないからこそ、自ら「こうすれば喜んでくれるかな〜、こうすればいいかな〜」という思いで、お供えをしたり、お経をお唱えお守りすることで、社会の中においての気配り、心配りもできるようになるのです。
大切なご先祖様を大切に出来ないようであっては、人様を大切に出来ないのです。
先祖供養とは人生の「土台」であります。土台を確かにしてこそ人生という大きな樹木が大きく育っていくのです。
言わないからしないでは「世の中の役に立つ発想はできません」。どうすれば、どうすれば喜んでもらえるのだろう、という「思考の原点が物言わぬ先祖供養にある」のです。
恩恵にだけ浴し何のお返しも出来ないでは、いくら夢を持っていたとしても夢の実現は遠のくだけであることを知りましょう。今夜は「にんげん学」一宮講座です、会場でお待ちいたしております。「人を学ぶことは己を学ぶこと、己を学ぶことは己を知り強くすること」です。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。               合掌