学びの力

おはようございます。

「にんげん学」一宮講座ご出席の皆さんありがとうございました。学びは人生に虚しさや挫折感を感じさせません、むしろ何か問題が起きたとしてもやる気がメラメラと燃え出すのです。これほど学びはモチベーションを落とすことはないのです。
今日は広島に原爆が投下された日です、亡くなられた皆様のご冥福を祈りますと共に被災されました皆様のご健康をお祈りいたします。
争いのない平和な国作りを目指さなければいけません、そのためには学びを確かにすべきでしょう。
「学びの力」。
論語、衞霊公第十五、三十九条に「子曰く、教(おし)え有(あ)りて類無(るいな)し。」と。
意は「孔子言う、人はいかなる種類の人でも、教育の善悪によって支配されないものはない。」
これは「教育の善し悪しによって人間は変わる」、ということを高らかに孔子はいったのです。だから学ぶことをやめない限りに於いては夢の実現、事の達成を強く述べたのです。勇気を得る言葉、学べば大きく人生は変わることを示唆したのです。
類は種類であり、例えば人の貴賤・地位・老少。或いは気質・習俗の相違などはすべて類です。貴い人も賤しい人も、地位の違いも、老人でも年少者でも、すべて教育の善悪によって支配され、これは「この種類の人であるから絶対に移らぬ理解できぬという差別はないとの意」であり、「教育の力の偉大さを述べた」のです。
どうですか、この言葉、教えを聞いただけで奮いたってしまいます。いつも書いていますが如く、学びを止めてはいけません、諦めてはならないのです、生涯のライフワークです。
よくこのような理屈にならない愚痴を耳にします。人をうらやんだ言葉に「あの人はあの学校を出たからだよ、あの人はあのことを学んだからだよ」という言葉です。
全くその通りです、学んだから、勉強したからこそ素晴らしい地位や職を得るのです。これは誰しも同じです。学びを一過性のものとせず諦めずに続ければ「自ずからステージは用意される」のです。
学びを本気で行うためには先ず「現実を肯定すること、実力を知ること」。自分の実力を認めないと言うことは、「自らを自らが否定している」と言うことです。「否定からは何物も得られない」のです。
意地だけで、やれば出来ると思うだけで現実の実力を認めることもせず、認めないから行動にならず、行動せずでは時間だけが過ぎ去り、悶々とする人生を自ら作っていくこととなるのです。
学びさえすれば自分の思う世界に必ず到達できます。人生は困難を乗り越える、苦難を乗り越える喜びほど大きな喜びはないのです。
今夜は「にんげん学」東京講座、東京地区の皆さん、会場でお会いいたしましょう。学んで心爽やかにスッキリとして、暑気払いを致しましょう。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。               合掌