今を確かに

おはようございます。

「にんげん学」大阪講座ご出席の皆さんありがとうございました。孟子の「浩然(こうぜん)の気」、日常の仁・義・礼の在り方が「何物にも動じない浩然の気を養う」納得ですね、日々を大事にしましょう。
「今」。
「今を確かに生きる」、そのことが「未来を大きく切り開く」ことは間違いありません。では「今を確かに生きるとは」どのような態度、姿勢であるのでしょう。
大層なことを書くようですが、私が比叡山を人生の修業に選んだ理由の一つに、比叡山を開かれた伝教大師最澄上人は「宗教を押しつけた宗教家ではなかった」という理由が一つです。比叡山は八宗兼学(はっしゅうけんがく)といって、さまざま宗教的価値観、多様性を認める修業の山、人間性開発のお山であったからです。
同様に「心華寺」も「心の華を咲かそう」、「自己に目覚めよう」ということが「宗旨」です。「人は人のために在るべきだ」というのが比叡山であり、心華寺であります。
昨夜の「にんげん学」講座の資料は「孟子」です。孟子はご存知のように「儒教」です。真理は分け隔てることは出来ないのです。
ですから私は私が修めたことで「社会貢献」を社会の中で行うのであって、「他の思想や宗教を否定するものではありません」。だから率先して「慈悲の実践」を行うのです。考えが違うから出来ない、同じ事を考えていないからしない、というのでは道を歩むとは言えないのです。
考え方を理解して貰うよりも、人を思う考え方で貢献することが大事であるのです。何故か、価値観を云々することは「争うこと」であるからです。争いは「不毛なもの」です。そこからは何物も生まれず、対立を生むだけです。幸せを願いながら対立するということはおかしな事です。
それよりも何よりも私たちは自分が学び習ったことを淡々と社会の中で率先する事であります。
好きや嫌い、知っている、知らない、上下などという私的観念で人生を悩ますことは愚かであり、今の実力で無心に仕事を通じて貢献することが大事であるのです。
人の争いは何から生まれるのでしょう、それは「自分を理解して欲しい」という「我欲」です。それよりも「人を理解し」その上で「己が出来ることを精一杯」行うことであるのです。
先の愚かな戦争の大きな原因の一つは「価値観の強要から」起きたと言っても過言ではありません。自分を大切にするならば、人をも大切にしなければならないのです。このようなことは幼児でも分かる道理でしょう。今を大事にしてこそ未来が輝くのです。また未来を輝かしく描いているのであるならば今を楽しく奉仕に生きるべきなのです。
その上でお給料がいただけることに感謝すべきでしょう。お給料を支給する側は、仕事時間内を黙々と働いてくれる社員の方に感謝しなければいけません、それでこそ一丸となれるのです。
この世は愛情で成り立つのです。誰しもが愛豊かな社会を目指し行動すべきなのです。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。               合掌