ありのまま

おはようございます。

私たちの心、価値観というものは千差万別、違って当たり前です。誰でも理解しているところです。ですが同一を望む、理解して欲しいと思うのもこれまた人情で不思議でもあります。
共有感、理解者がほしいという気持ち。同調者ではない、理解者です。しかしよくよく考えてみますと、これらの気持ちは皆外に求めている心です、だから悩む、といってもいいでしょう。
ではどうするかということですが、ハッキリと自分の意識を覚り、気づくことです。人間の意識とはよく考えるとわかるのですが、意識を持たないもの、関心のないものには「目が行かない、心が動かない」ということです。「ここをハッキリさせることが人生を確かに生きること」でもあるのです。
「ありのまま」。
外にあるものをどうにかしたいと考えても土台無理があるのです。自分の価値観で外の世界に心が動かされることを知ったのであれば、自分の心を素直に認めることです。無理して悩まずに「認める」ことです。
苦しんだり、悲しんだりしたときに、その原因を「外に求めない」ということです。自分自身の意識が「苦しみを生み出している」のだということに気づくことです。
そして苦しいときは素直に苦しみ、悲しいときは素直に悲しむことです。
何で?と外に理解者を求めようとすれば、こちらの意識で作った苦しみにもかかわらず、人を怨み、人を嫉むという最もしてはならない思いを持ってしまい、「自分で疎外感、被害者意識を作ってしまう」こととなるのです。
それよりも自分のしたいことをしっかりと行うことです。道を歩んだからこそ疲れたり、障害にぶち当たったりとするわけであって、何も外の世界の人が悪いわけでもなく、自分が歩んだ道が誤っているわけでもないのです。
歩めば様々な苦しみや、喜びと出会うのが人生という道のりなのです。その時その時において、心を奪われず、悲しみ苦しみ喜び楽しむ、「毅然とありのままに人生を歩むこと」で更なる素晴らしい出会いがあるのです。
そして大事なことはやはり昨日も書きましたが人に優しくです、皆一様に同じ思いはしているものです、そのことを思うことも愛情です。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。               合掌