何を利とするか

おはようございます。

8月のご愛読ありがとうございました。
猛暑続きで体調を崩すようなことはなかったでしょうか。お陰様で私は元気に今月も勤めることができました、ありがとうございます、やはり元気の源は皆様方に毎日お読みいただいているという実感を持てるからなのだと感謝いたします。
昨日は「選択の重要性」を書きました。人生を構築するには何を「通して実現」するのかということです。
私は「慈悲」人様を大切に思いやることで人生を「貫きたい」と考えています。共有、共鳴ということも昨日書きました。多くの人様との共有感、共鳴感を味わいたいとも思っています。
「利は慈悲」。
人には個々人喜びとする「利」は違っています、当然のことです。私の利、喜びは人様と「共にすることが利であります」。
なぜこのように考えるのかといいますと、共有感、共鳴感があるからこそ喜びとも楽しみともなり「仕事が成立し、一緒にしたい」と思うのではないでしょうか。
いわゆる金銭的、物質的なものを先に求めるために出会うのではなく、先ず「慈悲心を以て出会う」ということです。
物や金を得なければお付き合いをしないなどという短絡的、功利的なことではせっかくの出会いから「共に育むという喜びは生まれない」のです。共有感、共鳴感という「共は共に育むという意味」であるのです。
自身が生涯熱き情熱を傾ける人生、どのような「気持ち」を心に保つかは自分が選択するのです。
一日一生の思いで8月最終日を過ごしてください。今日は有志の信者さんが「お磨き(お祈りに用いる器を磨くこと)」をご奉仕くださいます。このことは共有、共鳴を大事にしてくださる皆様の一つの証です、ありがたいことです。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。               合掌