辛いと思ったとき

おはようございます。

Wさんの見送りをいただき、昨夕5時17分無事関西空港に降り立ちました。楽しい思い出で7時間55分の長いフライトでも疲れもなく帰りました。
直ぐに仕事が待っているという緊張感に感謝すべきかもしれません。これも御仏のお計らいでありましょう。法要が待っていなければきっと時差ボケを理由にダレていたことでしょう。
「辛いと思ったとき」。
人生、肉体的、精神的に辛いと感じるときは多多あります。そのようなとき私は「天が鍛えてくださってる」と受け止めています。辛い現実が起きたことを「人為的と受け止めない」ということです。
自分の弱点を天が知ってくださり、それを「認めていない自分を正そうとしてくださっている」ととるのです。人間は本能として苦手なことや嫌なこと、辛いことを克服しようとせずに、逃げようとするのです。
ですからどんどんと苦手意識、逃避する意識が増幅、増大していき、いつまでも人のせいにして、悪い世界を堂々巡りすることとなるのです。
嫌なことと思いながら、苦手だと思いながらも、その解決策を実行に移さないようであっては年令を重ね、責任を増す立場に昇りたいと考えていても、考えていることが矛盾でありますから、責任の持てる立場には立てないのです。
何故ならば自己責任を果たせない人間は、人の責任を取らなければならない立場にはつけないのです。
そうならないためには「辛いと思ったとき、敢然と立ち向かう自分で在ること」が大事なのです。それには辛いと思うような場面、情況が生じたならば「天がくだされたチャンス」と考え喜ぶことです。
10時から愛宕寺「秋季彼岸会法要」です、お参り下さい。ご先祖様の供養が繁栄の一段です。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。