信力

おはようございます。

じわっと護摩の炎で汗がにじみ出し季節毎の感動を味わっています。炎の中に日々御仏の姿を感得し新たなときめきも、祈りのパワーには驚きばかりです。
「信力」。
先の言葉は「しんりき」と読みます。信じる力、信じることで力となることです。叡山修業時より、法を修すことに無心に対してきました。「無一物無尽蔵(むいちぶつむじんぞう)」、何も無いが故に無尽の世界が現出するという教え。逆に有は無になるということです。
有にとらわれず、無にもとらわれず、法に従うが故に「現出する」ことを信じ、結果、未来を信じる人との出会いを多くしました。
得る得られないという二極に心を奪われているようでは「信とは言わない」のです。信は「信しかない」のです。
多くの人は有、現実を目の当たりにしないと信じる心が起きません、故に信力とならず、オーラも気魄も出ないのです。
もうじき木々の葉が散る時節、有は無に帰するのです。
故に常に修することが大事であります。秋の修練は冬のため、冬の修練は春のため、春の修練は夏のため、夏の修練は秋のためと言うが如くです。
有に心を奪われては無心とはならず、信力、念力とはならず、オーラ、気魄とはならないのです。
修練を続ければ続けるほど磨きがかかり、為すべき道が示され、止まることがないのです。得ることに心を奪われていれば修練する気持ちも起こらず、それは活動がないということであり、活動がないということは、生きる屍でもあるのです。得たいという道理に叶わない欲とはかほどに怖いものです。
信から出た行動の修練は力を生み、オーラを放ち、気魄となり多くの人にインパクトを与える存在と化すのです。
強くなるために日々修するのではありません、しかし事実強さは増すのです、しかしこの強さは人を虐げるためでもなく、誇示するためでもなく、魔を寄せ付けない、欲に目がくらまない、人と争わない強さとなり、「運を手にする強さ」となるのです。
これが祈りのパワー、信力だと日々確信するのです。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。               合掌