集中

おはようございます。

愛宕寺「月例・幸福開運護摩祈願祭」雨の中お参りありがとうございました。皆様方に一層素晴らしいお加護がありますことをお祈りいたします。
雨で空気が重く感じる護摩の炎、普段と違った美しさ、雨と、木魚と皆さんが唱える真言で合唱、神秘な心の世界を醸し出す不思議な世界。
日々一人で修する護摩もいいですが、皆さんとご一緒にお祈りする護摩は一段と楽しく集中ができ感動が一入。
法要が終わりますと有志の皆さんが掃除、仏器磨きのご奉仕、その時の皆さんの会話や笑い声が潮騒のように心地よく法要を締めくくってくれます。
「集中」。
日々お勤めをするとき必ず経本を見てお勤めをします。それには理由があります。「集中を確かにする」ためです。「対象物」を確かにして「気をそらさない」ということです。
ご本尊様を目の前にして祈ることも同じです。
「六根清浄(ろっこんしょうじょう)」という言葉がありますが、六根とは「眼・耳・鼻・舌・身・意」の六つの感覚器官。これらの六つは働きが違います。ですからそのままにしておきますと、六つがバラバラに働き、混乱を来すのです。
そのために「信」という「柱に」六つの器官を「しばり」全身全霊を傾けて祈るのです。それによって「集中」する。バラバラに働く感覚器官の特長を生かし、全ての「感覚器官を一つにすれば」パワーが何倍、何十倍ともなるのです。
確かな対象、イメージを持たずではパワーが散り、せっかくの力も発揮できません。
祈ることでその集中力を養い、現実の仕事に於いても集中力が発揮できる。集中すれば六根が清浄となり、何物にも惑わされない己と化すのです。
いつも申しますが、続けなければ力は養われず蓄えることもできません。
夢を持ちながら達せられない、目標を持ちながら途中で投げ出してしまう等々は確かな「対象、イメージするものを持たないから」です。故に六根がバラバラに働き意根(いこん、こころ)が濁り、その他の五根に濁りをもたらし、物事を正しく見ることが出来なくなり、集中力も失うこととなるのです。
明晩は「にんげん学」小倉講座、歩む道を確かにしてこそ集中が叶うのです。明日会場でお待ちいたしております。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。               合掌