困ったときの

おはようございます。

私事ですが、昨日は母の祥月命日、父は一月。月命日と違い祥月に手を合わす気持ちは格別な思いです。位牌を目の前にささやかなお供えをして感謝の思いを寄せることのできる幸せ、父母とも弥陀の世界で遊んでいることでしょう。
「困った時の神頼み」
「困った時の神頼み」とはよくいいます、この行為は大切です。神は「無」、無とは「有」です。
万策尽きたとき「無心に全てを委ねることができるかどうかが」次の行動への大きな飛躍となるからです。神仏は「道理に生きよ、真理に生きよ」と教えています。「真理を頼みとせよ、道理を頼みとせよ」と言っています。
事が行き詰まる原因には「道理を歪めて用いている」ということが考えられます。「自分に都合の良いように考えている」ということです。だから行き詰まってしまう。
私たちが日々聖典を読誦するのは「原点に還る、無に帰する」という行動です。昨日の続きを行っているわけではありません。「日に新た、日々に新た、また日に新たなり」で、毎日原点、無に還り「神頼み、真理頼み、原理頼み」をしているのです。
行動するのは自身、信ずればこそ自信を持って日々現実の物事に対応できるのです。だからこそ困ることが少なく、困ったとしても「救いの神が現れる」のです。
祈る言葉に「南無十方仏(なむじっぽうぶつ)」という言葉があります。四方八方、上下に御仏は徧満(へんまん、満ちている)しているという意味。徧満とは周りに存在しているという意味、ですから出会う人、出会う人が私にとってお仕えする御仏であります。
道理は「情を持たず栄枯盛衰を現出」しています。ですから道理を知れば何事もなく、全てを受け入れられるのです。
栄は「枯の準備期間」、枯は「盛の準備期間」、盛は「衰の準備期間」、衰は「栄の準備期間」、廻転、循環することを真摯に受け止め「怠らず」、日々新たな気持ちで神頼みをして慢心を防ぐことが出来るのです。そして「日々為すことのある安定した暮らし」がそこには現出するのです。日々為すことの在ることが繁栄の道を歩むことです。
この道理を歪めたとき「苦しみが起こる」のです。
今夜は「にんげん学」東京講座、常に繁栄、常に衰亡などはあり得ません、我欲に惑わない確かな学びをいたしましょう。会場でお待ちしております。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。               合掌