不足しては

おはようございます。

心華寺入山の30数年前には誰一人訪ねる人もなく、自身の中に「信」の一字があふれるばかりでした。
比叡山に登り最初に縁があったのが「辯財天」様。意図せずに師が比叡山無動寺谷にある「無動寺辯財天」の輪番(住職)をしていたためです。
辯財天は才能(勉学、芸事)、地位(金運、財運、立身)、寿命(天命の全う)を与えるというありがたい神様です。
「不足しては」。
辯財天信仰をする者には「不足を補い与える」という辯財天様の「大誓願」があります。せっかく努力しても何かに不足が有れば事の継続、成就はなりません。
もう少し、もう少しという努力辛抱していても辛抱しきれずに途中で諦めてしまうという方もあります。
せっかく積みあげてきたにもかかわらず、何かの不足のためにやめなければならない、不孝なことです。
そのような不孝を解決し無くしたいというのが辯財天様です。
一つの道を志し、そして辯財天様を祈れば必ず「過不足無く事の成就にご利益を与える」のです。
この辯財天様の「誓願」を知ったとき私の生涯の信仰の道、天命が決まったのです。素晴らしい皆様のために生涯辯財天様に仕え祈ろうと。
人との縁、金運、財運との縁、健康の縁、道を志すとき「必要不可欠なもの」です。皆さんが目標を持って歩み出し、不安無く歩むために辯財天信仰により安心して人生を歩み全うして欲しいとの私の「誓願」としたのです。
「人、物、金」とはよく言われます。三つの中どれ一つ不足しても前に進まないのが人生。この三つの安定を図るのが辯財天信仰なのです。
40年以上辯財天信仰を続けてきたご利益で、その時その時に必要な「人も物もお金も与えていただきました」。
辯財天信仰は過不足無くご利益を与えてくださいます。過ぎないように、不足しないように、それは私たちに「慢心と卑下する心を起こさないように」との慈悲の配慮であります。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。               合掌