心の学び

おはようございます。

いよいよカレンダーも一枚、何かと慌ただしくなるでしょうが心を荒らさずに今月は「特に地に足を付けて」しっかりと歩んでまいりましょう。今月もよろしくご愛読下さい。
誠澄も断食三日目、少し辛くなる時、いい顔で修業に励んでいます。確かな目的を持って厳しい修行をするというのはいい顔を作るようです。
「心の学び」。
師走は何とはなしに慌ただしくなるものです。そこで心を失って荒れさせてはいけないのです。「心こそ 心惑わす心なれ 心にぞ 心 心ゆるすな」という語があります。自分の心がもっとも自分を惑わす本だといういうことです。
心は「コロコロと飛び跳ねるから心」と名づけられたとも言われています。ふとしたものに当たると心が惑う。
そこで「心を学ぶ大事がある」のです。自分の心に自分が迷う一因は自分の才能に溺れている、自分の知識にとらわれている、自惚れているということが考えられます。
菜根譚前篇百九十八条に「鷹の立つや、睡るが如く、虎の行くや、病むに似たり。正に是れ彼の人を攫(つか)み、人を噛む手段の処なり。故に君子は、聡明は露わさず、才華は逞しくせざるを要す。纔(わず)かに肩鴻任鋸(けんこうにんきょ)の力量有り。」
意は「鷹が木にとまっている様子は、あたかも眠っているようであり、虎が歩いている様子は、あたかも病気にかかっているようである。このような様子こそ、鷹が獲物につかみかかり、虎が人にかみつこうとするための方法である。
だから君子たるものは、自分の賢明さをやたらと外にあらわさず、才能をやたらとふりまわささないようにすることが必要である。それでやっと、大事を双肩に荷うことができる力量があることになる」。
このようにありたいですね、昨今のリーダー諸氏は言葉だけが非常に優れていて、心を失っている様相ばかりです。学ぶことは大事ですが、心を学ばずしてはせっかくの才能を生かすことなく、自らの人生を滅ぼしかねないのです。
一年の最後の締めの月、心を失うような締めをしないように有りたいですね。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。               合掌