苦行必要なし

おはようございます。

誠澄が「断食・断水・不眠・不臥」に入行して5日目、これから満行まで胸突き八丁。意識は冴え渡りますが肉体の疲労は限界に、この時の葛藤が加持力、祈祷力の強さになってきます。
水道の蛇口にホースを繫ぎ、ホースをつまみますと水の勢いが増し、遠くまで水が飛んでいくように、正しい修行での心身への負荷は、まさにこのような状態となるのです。そのパワーは満行時に最高に達します、是非5日にはお参りの上「お加持をお受け下さい」。心願、大願が成就します。
「苦行必要なし」。
先の言葉はお釈迦様が言われたお言葉。苦行はするな、ということです。これは「やらされている」という「受け身の修行はやめよ」ということです。
行は自ら進んで行うもの、言われたからやるのではありません。皆さんのお仕事も同じこと。言われたからやる、というのでは機械と同じです。意志を持った人間がやることではありません。そうであるならば機械の方がましな結果、否人間以上の結果を機械は出すでしょう。
修行をするということは「新たな世界を知る」ことにあります。知るとは何を知るのでしょう、自分の「心」です。
誠澄は今年で12年この行を続けています。それは毎年新たな「心を知ったから」です。苦を知り、楽を知り、無を知り、有を知り、そして「心の平安を知った」のです。
数多の人達の苦は計りしれません、計り知れないからこそ行を通して苦を知り、心の平安を念じ願うのです。それによって数多の皆様の「苦を除きたいと願う」のです。
人は人に代わってあげることは出来ずとも「側にいてあげることは可能です」。しかし側にいたとしても「強い信力、信頼がなければ」通じません。
だからこそ筆舌し難い「身命を賭した修行を行い、その心を示す」のです。
寺には必死の祈願をなさる方が数多こられます、ただ口先でお祈りします、というのではなく、願いを受ける私たちが日々「懸命、命を懸けて祈る」のです。行で苦しみがあったとしても、皆さんの心の平安がなることを思えば、行者の心は澄明となるのです。心の世界は「三次元の世界」を飛んで「願いを懸ける人の側に在る」のです。
故に全国からの祈願参拝者が来たるに至っているのです。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。               合掌