有無

おはようございます。

「にんげん学」京都講座、雨の中ご出席いただきありがとうございました。年末のご多用の中しっかりと時間を作っていただき嬉しい最終講座でした。
新年の講座は京都、大阪合同、年一回の心華寺での開講、1月16日(日)です。どうぞ新年第一回を一年のスタートと考えご出席ください。全国の皆さんもどうぞご参加ください。
「有無」。
私たちはどうしても「有る無し」で一喜一憂してしまいます。時にはそれはそれでいいことだと思います。久しぶりの友と会って嬉しくないはずはありませんし、宝くじに当たったら飛び上がって喜ぶでありましょうし、大切な人との別れがあれば悲しくなりますし、大事な物を失くしたときなどは落ち込んでしまうのが人情です。
ここで言う有無は「自分の力の有無にとらわれない」ということを言いたいのです。「評価、評判の有無」といってもいいでしょう。
淡々とありながら情味のある人生を歩みたいというのが私の願いでもあります。一生懸命に生きながらも淡々と。自分の力でこうなった、自分の力があったから、という考え方ではなく、与えられたことに精一杯力を尽くし、力を尽くしたことが人よりも良かったとしてもほこらない、自惚れない、ということです。
喜びはあったとしても皆さんのお陰だと感謝する。
人生は成功したら人様のお陰、失敗したら努力が足りなかったと素直に反省する。
人に誇りたいと考えている人は仕事を選び、人を選び、結局は孤独になっていくのです。
このような人は評価の「有無」、評判の「有無」にとらわれている人です。
世間様はよく人を見ております。損得や有無で仕事をしている人は最初は重宝がられますが、次第に人は去り、仕事も失うのです。
有無にとらわれず淡々と力一杯仕事をする人は「分かち合う人」です。このような人は一見「頼りなさそうに見えますが」次第次第にその存在感は「無くては為らない人となる」のです。
一喜一憂をしたとしてもそれは分かち合う世界でのこと、人の喜びを共に喜び、人の悲しみを共に哀しむという人情からの一喜一憂です。
一喜一憂を感じ、そこから有無、損得勘定の打算で生きる人間となってはならないのです。人の真価は得意の時、失意の時に見えてくるのです、用心しましょう。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。               合掌