下がある

おはようございます。

上があれば下があり、初めがあれば終わりがある。当たり前のことですが、これが当たり前でない。上下、終始これらは「一対」であります。言葉で言えば上であったり下であったり、始まりであったり終わりであったりで、いずれにしてもどちらが大事で大事でないということを言っているのではありません、「一対」なのです。
社会を見ておりますと一対であることを体感、肌で知っている人が成功者となっている人を多く見ます。単なる上下、終始で物事の大事を言う人はあまり成功していないようであります。
「下あることを知る」。
一年をふり返り人様の動向を拝見し、あぁこの方は順調だったのだろうなぁ〜と感じたり、上手く行かなかったのではと感じることがあります。これらは先に書きました上下や、終始の考え方で出るように思うのです。
老子上篇、第十七章にあるのが先の言葉です。「老子」は指導者のランクを四等級に分類しています。
「太上は下これあるを知る。その次は親しみてこれを誉む。その次はこれを畏る。その下はこれを侮る。」。
これを最低のランクから並べますと、一、部下からバカにされる指導者、一、部下から恐れられる指導者、一、部下から敬愛される指導者。
そして最も理想的な指導者(太上)は、「下これあるを知る」指導者です。「下」とは部下。部下から見て、上にそれらしい人物が坐っていることは承知しているが、「それ以上でもそれ以下でもない」。そんなあり方が理想的なのだと老子はいうのです。もう少し具体的に言いますと、
「立派な指導者は、弁解も宣伝もしない、すばらしい業績を上げても、それがかれの働きだと認識されないのだ」というのです。物事に淡々としていて成果や結果を出すことなど当たり前、誇ったりすることなどはもってのほかと言うことです。
業績の上がらない会社の長の特徴は叱咤ばかりして部下を尊敬もせず、人材として認めていない、売り上げをあげる機械の如く考えている故に親しまれることも尊敬されることもない、率先して働こうともせず、言われなければ動かない部下が出来上がってしまうのです。
下これあるを知る長は、何事も率先はしますが、誇りもしないのです。それは自身がどのような長であるべきかを考え、理想に向かって行動するからであり、上手く行くときもあればそうでないときもあることを知り、上に立っているから上であるという事ではないことも知っているのです。
下に居る者が劣っていると考えるのであればもはやその会社の発展は自ら閉ざしているようなもので、下これあるを知る長は素晴らしい人材として大切に生かすのです。
一年様々な人々や会社を拝見して毎年年末になりますと色々な思いが駆けめぐります。年末にご挨拶にに来てくださいます皆様がどのような状態で終わったとしても、「お陰様で」というご挨拶をくださる方は今年は思わしくなかったとしてもやはり翌年は素晴らしい発展をなさるのが不思議であり凄いことでもあるのです。
人は挨拶はできそうで出来ないのもののようです。上下を考えている人は素直に現状を認められないからかも知れません。
先になったり後になったりが人生でもあります。この道理を知らぬ長は、上手く行ったときに高言し、上手く行かなかったときは下を叱咤するのです。
下あることを知り、感謝する一年でありたいですね。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。               合掌