静と動

おはようございます。

昨日から仕事始め新年の初日いかがでしたか、一年しっかりとお勤めください。「働くに追いつく貧乏無し」とも言います。昨日書きましたが「倹約と勤勉」。勤勉が思考も工夫ある行動も生むのです。
「静と動」。
静のための静はなく、動のための動もありません。「静が無ければ動もなく、動が無ければ静もない」のです。静が大きな動を生みます。私たちが祈り坐禅をすることが「静」であり、このことを日々行っている故に確かな「動がある」のです。
心が静止する状態を自ら作ることができなければ確かな動は出来ません。何かを考えようとすればやはり静かな情況、状態が必要。喧噪の中で心を静かにするなどということは達人でなければ不可能ですし、追いつめられてから考えようとしてもこれまた不可能です。
ですから普段から「静の中の思考、工夫が大事」です。一時間祈る、一時間坐禅を組む中で心が一時間透明感を持つかといえばそうではなく、ある「瞬間透明となる」のです。「ある瞬間ひらめく」のです。
これが静の中の「智慧」となるのです。「静は智慧を引き出す」。
この引き出された「智慧の行動」の中から「工夫が生まれる」のです。また静から動へと変わったとき大変な「対応力も引き出す」こととなるのです。
「静と動は一対」。静かに考えられる人は大いなる行動ができ。静かに考えられない人は「心が外の世界に惑わされている」故に「心が騒いだままで行動ができない」のです。いわゆるいつも「心ここに在らず」の状態です。
惑わされている人は、考えることが「迷いを考えていることと錯覚している」のです。錯覚の中で思考を廻らしても良い思考は出るはずもなく。考えと迷いを錯覚しないために先ず朝の時間に静かに瞑想する時間を持つことです。
静は動を引き出し、静は智慧を引き出し、静は対応力を引き出すのです。祈り瞑想は偉大な力となり働きをするのです。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。               合掌