確かなイメージ

おはようございます。

一昨日東京へ向かう折りには富士山を拝むのに最高のポイント地点である富士川を通過するときには一部を拝むだけで全容を見せてはくれませんでしたが、昨日の帰りには「にんげん学」東京講座へご出席下された皆さんのお陰でしょう、前日は恋しい人をちょっと見るだけでガッカリした気持ちになりましたが、品川駅を出た付近から恋しい人が全容を見せ、こちらが恥ずかしい気持ちになるような素晴らしい富士を拝むことができました。一年の無事を祈り帰ってきました。
私たちはこのように毎日祈ります。祈りが何故大事かと言いますと、祈りは「未来を予め想定」しているからです。今頃ですと、秋の豊作、一年の会社や家庭の安泰、学校の入学祈願、厄除け等が主だったものでしょうか。
新年を祈るとは「新稔を祈る」、いわゆる「新たな秋の稔り」を祈るのです。
「確かなイメージ」。
祈るとは「イメージが確かだ」ということです。「こうなりたい、こうしよう」という確かな思いがある。また祈る人は「確かに学びも」するのです。
お経にも書いてあります。何もしないでご利益を願う人は祈ることはできないと。
祈る人は真剣に日々学び研鑽修養を積んでいます。故に自然努力してくださる社員の方や守って下さる家族のために一年の「安泰、成功を祈る」のです。
新稔(新年)の「予祭(予め想定した祈り)」は秋の取り入れの感謝祭と「表裏一体の祭事」です。
ですから日々の祈り、週の祈り、月の祈りが何故大事なのかが理解できるはずです。家族、会社が一丸となって努力していることを考えれば成功を祈ることは当然の成り行き、在り方です。
ただ単に迷信だ、神頼みをして何になるのだという言葉を簡単におっしゃる方がありますが、祈る人はただ何もしないで祈る人はおりません、学び、努力し、日々の中から又新たに学んでいるからこそ「何が起こるかわからない日々の安泰」を祈るのです。
祈ることこそが「最も人間的でもある」のです。このような心情を持っているリーダーが経営する会社はやはり安泰であるのです。一寸先は闇という言葉を疎かにせず、日々祈り、勉学し、研鑽を積むからこそ道が開かれることを確かに知っているのです。だからこそ確かな素晴らしい人生のイメージを持つのです。
明日24日は愛宕寺「初・月例幸福開運護摩祈願祭」です。新年(新稔)をご一緒に祈りましょう、午前10時からです。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。               合掌