戒める

おはようございます。

私たちの世界には「戒律(かいりつ)」があります。律とは「法・ルール」のことです。故に律は僧であれば誰でも遵守しなければならないものです。しかし「強制」されるものではありません。
社会には「法律」があります、戒律とは違いますが、おおよそ似たようなものと考えて貰ってもよいと思います。
戒律は社会の法律のように強制されるものではありませんが、「自覚して遵守した者がやはり法を通して成長進化していく、人格を高めて行く」ことは間違いがありません。逆にこんなものかと従わずになめてかかれば人格を貶めるだけです。
「戒める」。
戒とは「律(法、ルール)を自覚し自らを戒める」ことであります。表現を変えていいますと、「恥(はじ)を知る」といってもいいでしょう。恥を知るというのは「人間特有の情感」であります。他の動物にはない感情ではないでしょうか。
普通の人は、もし自分が間違ったことをしてしまったと気づいたらば、心臓はバクバク、顔は真っ赤になり、すぐに頭を下げて恥じ入るでしょう。
そして誤りを正し、自らの恥をすすごうと努力するでしょう。これは正常な心理現象であり、人徳を高めようとする人はなおさらに努めるはずです。
どんなに素晴らしい法律があっても、いかに人間性を高める学問があったとしても、自分を戒める、恥を知る心がなければ人間性や品性、はたまた信頼を高めることは不可能です。
学問が教え導いている方向を自覚し自儘になる心を戒め、恥を知る心がなければ、いくら頭の中で良い思いを描いたとしても事はならないことを知るべきです。
己を戒め、恥を知ることこそ豊かな人生を確立する方法はないのです。ただ物事を知っただけで戒める心、恥を知る心がなければ「辱められる結果に陥る」こととなるのです。
このことはマスコミを賑わしている多くの事例が物語っていますから自明の理でしょう。
己を戒め、恥を知る人間は美しく、男性であればダンディで女性であればエレガントであり格好良く憧れられる存在ともなるのです。
日本は本来「恥の文化」です、恥を知るが故に「誇り高い人が大勢出た」のです。恥の文化を蘇させることが今日は求められているように思います。
今夜は「にんげん学」一宮講座。「人としての大切な情感」を学びましょう。会場でお待ち致しております。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。               合掌